子どもたちが試合中ベンチで妙に静かに並んで試合を眺めている。
コーチからの指示を待ち、いつもベンチを気にしている子どもたち。
練習通りのパターンなのか、同じような攻撃が繰り返される。
ゴールを決めた男の子はフィールドプレーヤー数人とタッチをして自陣に戻る。
上手い。
でも、その子たち、そのチームに魅力を感じる事はなかった。
なぜなのだろうか。
それぞれのチームに独自のスタイルがある。
もちろん、それは理解している。
こんなことを書くと相手チームを否定しているように聞こえてしまうかもしれない。
しかし、伝えたいのは相手チームのスタイルを否定することではない。
別にベンチに子どもたちを綺麗に並ばせるのがいけないわけではない。
コーチが指示を出して子どもたちが従うことがいけないわけではない。
パターン練習、パターン攻撃を否定したいわけでもない。
しっかりと話を聞いて、練習の成果を出し勝つことは悪いことではないし、そう簡単にできることでもない。
ただ、ぼくは何かが足りない気がしてしまった。
子どもたちに、ありのままの姿をさらけ出してほしい、そう…
そう思うのです。。
子どもが本来持っている子どもらしさ
感性、感情、創造性、表現力。カラダの奥底から溢れ出るエネルギー。
本来子どもたちがもっている底知れないパワフルさ。
そのエネルギーは大人が無理やりに子どもに向かって『元気だせ!』と無理やり引き出すものではない。
ただ、純粋にサッカーが楽しくて仕方なくて、仲間と一緒にボールを蹴ることが楽しくて、勝手に出てしまう。
エネルギー。体の奥底からエネルギーが溢れ出てしまうあの感覚。子どものころに体の奥底から溢れ出る楽しさを経験した人ならわかるかもしれない。
子どもは誰しもが持っている。野性的で本能的な力を。エネルギッシュでパワフルな力を。
一言で表すと子どもらしさになるのかもしれない。
綺麗に並ぶ、指示通りにプレーできる、練習通りにゴールが決まる。それでもいいのです。それが表面上だけの見栄えになってしまっていなければいいと思うのです。
綺麗に並ぶ、指示通りプレーするその先に楽しみがあるのなら。我々大人はもっと子どもたちの姿から楽しみをみつけ、子どもらしいありのままを表現できる環境を整えなければいけないと思うのです。
もっとできるはずなんです。本当は。させてあげられていないのは大人側の責任だって最近、強く思うのです。
審判なしの交流試合
先日の小学1年生の交流戦で感じたことです。
なぜ、冒頭のようなことを感じたのか。それは、ぼくが担当させてもらっている1年生の子たちと他のチームの子たちの姿に圧倒的な違いを感じたからです。
圧倒的な違いとは何か?ぼくは"子どもらしさ"だと感じました。
前々回の記事で少し紹介させて頂いた審判なしの交流試合。多くの反響を頂きました。
今回も審判なしの交流試合の子どもたちの姿を通して感じたことがありました。
もっと自由にもっともっと子どもらしくてもいい
担当学年を2チームに分け、1チーム10分を6本行ったのですが、まあ、疲れました。
それはなぜか。子どもたちのエネルギーが凄まじかったから。
試合になるとトレーニングのときの倍はパワフルさが増す子どもたち。
その日は24人来ていたのでランダムに12人ずつの2チームにわけて試合をしました。
フットサルコートでの交流戦ですが6対6で試合を行い、交代は5分経ったら残りの6人を総入れ替えというルールにしました。
「そんなのありえない。」と言われこともありますが本当に審判はいません。判断を下すのは試合をしている子どもたち。
自分たちで並んで挨拶をして準備。開始の笛を本部で鳴らしますが準備が早くできればどんどん試合を始められる。終わりだけは2コート一緒の笛で合図します。
次が試合だとわかると自分たちでどんどんピッチの中央に集まり並んで挨拶をする。相手チームが遅いと大きな声で「○○チーム!試合だよ!早くー!」と言って呼んでくる。
相手チームは戸惑いながら握手と挨拶をする。相手チームは「なんだこのチームは!?」と異質なものを観ているような表情。
試合の結果は大差で負け。勝たせてあげられない自分に責任を感じつつ、いつも楽しみなことがある。
負けているのに、雰囲気はまるで勝っているかのように賑やか。ベンチから飛び出て、タッチラインギリギリまでいって「もっと下がれ!」「もっと攻撃は前だよ!」と仲間にコーチングする姿。
ベンチに座っていることがほとんどない。しかし、彼ら彼女らの前のめりになる気持ちをぼくは大切にしたい。
心躍らせ、目を輝かせ、仲間を鼓舞する。コーチから指示したわけでもなく子どもたちが自然とそういう姿になっているのである。
激しくタックルをしてしまったときは「今のおれのファールだから」と言って相手にボールを渡す。まだ上手くはないがたくましく、頼もしくみえる。まるでブラジル人コミュニティーでサッカーをした時(サッカーを本気で遊ぶということ 〜サッカーの本当の楽しさを教えてくれるのはいつもブラジル人〜)の雰囲気のよう。
これからサッカーを続けていくうえで、一番大切な大きな土台を自分たちでつくっている真っ只中に子どもたちはいる。
勝つことよりも大切なこと
いつも失点はしてしまうものの全員で粘り強く守備をするので相手は勝っているにも関わらずすごく嫌そう。粘って粘ってカウンターで1点返そうものならチーム全員で喜びまるで勝ったかのように喜んでいる。
「交代まであと何分?!」「早く出たい!」「○○くん!交代!」と勝手に交代してしまう子もいる。
そんな時は子ども同士で納得していれば大人が介入する必要はない。
試合中はミラクルプレーが良く出る。練習ではみたことがないループシュートで得点したり、キーパーをいつもはやらない子のスーパーセーブがあったり、ながれるような連携から4本パスが繋がってゴールが決まったり、本当にいつも驚かされる。
「試合は練習で出来たこと以外出来ない」と言う人がいますが、そんな常識は子どもたちには当てはまらない。
試合をするたびに彼ら彼女たちの成長を肌で感じることができる。
相手の強さと上手さを認める。試合に勝つことは滅多にないのだが、クラブの子どもたちは相手が上手かったり、強かったりしたら「あのチーム上手い!」「強いぞ!」と認める。「10番が上手いから気を付けないと」と自然と相手を分析までしてしまう。
なかなか勝つことはできけれど、分析という楽しみを見つけて、始まる前から最後までずーーっと試合を楽しんでいる。
試合に勝つことは滅多にないと言ったけれど、それは3年生あたりを境に少しずつ勝てるようになってくる。ただサッカーをプレーすることが楽しいという段階からどうやったらもっとサッカーを楽しめるかをより深く考えるようになる。そうすると少しずつ勝てるようになっていく。
クラブは一人でも多くの子がサッカーを楽しみできるだけ長くサッカーを続けてほしいと考えています。クラブOBにまだプロはいない。自分で目標を設定し親元を離れ県外の高校サッカー部や海外挑戦するOBは多い。中学、高校、大学を経て多くのOBが社会人クラブでサッカーを続けている。
本質は方法論や見栄えではない。一番見なければいけないのは子どもの心の姿ではないだろうか。
子どもであるときに子どもらしくいられる環境づくりと雰囲気づくりが我々指導者は一番大切にしなければならない。
大人がサッカーを伝えるタイミングは、子どもたちがとことんサッカーを楽しみ、サッカーを好きになってからでいい。
書き手
サッカーの本質を追求する旅はつづく…