駆け引きは「汚いもの」、感情表現は「みっともないこと」
私が南米出身者の仲間たちと試合に出て、日本人のチームと対戦するとよく起こる事象を書いておきたい。
日本人チームの多くは、南米特有の駆け引きを「汚いもの」、感情表現を「みっともないこと」「野蛮」だと試合中に口撃してくる。
このような経験をする度に、私は日本人がいかにサッカーに不向きな人種でこの国にサッカーの本質を伝えることが困難かを思い知らされる。
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サッカーは汚く泥臭い駆け引きの連続、ピッチで自分の全てを表現し、感情と感情がぶつかり合う戦いなのだけれど日本では未だにそのように認識されていない。
もう少し本質的なことを書いていきたい。
サッカーが嫌いになって辞めてしまう
日本でサッカーをプレーすることが嫌になって辞めてしまう人は多い。残念ながら子供も含めて。。。
なぜなら、サッカーの本質的な楽しさである「駆け引き」や「感情表現」を良しとしない文化だからである。
プレーを常に抑制され、矯正されてしまうのだ。
社会生活を健全に営んでいくためのルールをサッカーにまで持ち込んでしまう人間が非常に多い。これはサッカーに限らず、その他のスポーツにも言えることだと思うのだけれど。
多くの指導者は口々に「サッカーを通じて立派な大人を育てたい」などと言う。
私はそんなことを言う大人を信じない。
ダサい大人はダサい社会に最適化する人間を育てる
私は今の日本社会が必ずしも健全だとは思わない。
年間で2万人を超える自殺者生み出し、それ以上に多くの予備群が存在している社会。
学校生活を経験し、海外での生活も経験し、日本で社会人としていくつかの企業で働いてみてそれがよくわかった。
弱者に対して非常に不寛容だと感じたし、社会生活の中で精神的な逃げ道をも絶たれて追い込まれてしまう人を何人も見てきた。
ダサい大人は、こんなダサい社会に子供たちを、選手を最適化させようとしているのだ。ルールを守れ、言われたことをできるようにしろと。それを信じてやれば立派な大人になれると。
私はそんな世の中を変えたいと思う。
ダサい社会に最適化させるのではなく、柔らかく、寛容な社会を創造できるような人間を育みたいし、自分もそうありたい。
これからの未来を生きる私たち、そして若者たちに明るい希望を見せてあげたいと思う。
日本サッカーが抱える問題は日本社会の根源的な闇である
サッカーに関わる大人が変わらなければならない。
強制や矯正がサッカーの魅力を壊しているということに自覚的にならねばならない。
また、ハリルホジッチ解任劇でも明らかになったように日本サッカー協会、それだけでなくスポンサー含め既得権をアテにしてはならないということを改めて学んだ。
私たちはサッカーの本質的な魅力を愚直に伝えていかなければならない。
もっともっと愛情を持って。
子供たちの好奇心を育むこと。そしてもっとたくさん表現させてあげたい。
好奇心は主体性を生み、新しい世の中を創造するきっかけを作ることに繋がるはずだ。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…