6月末にスペインへ育成年代のサッカー大会の取材に行ってきました。
サッカー先進国のスペインはサッカーがより身近にあって、テレビをつければサッカー番組やサッカー中継がやっているのだけれど、ジュニア世代、ユース世代の試合も放送されているんですね。
街のバルでも、ユースチームの試合を酒のつまみにしている光景を見ると、ああ、、こんな国で生活してみたいなと思ってしまいます。
若い世代のサッカーを日常的に目にする機会があることって育成年代にとって、とても大事なことだなと思いました。
おっと、スペインのレポートは何回かに分けてしっかりと書きますのでこれくらいにしておきましょう。
さて、今回もサッカーの本質に通ずる記事を3つご紹介させていただきます。
ひとつ目は、私がスペイン取材の際に感じたことでもある日本とスペインの育成年代の考え方の違いについてわかりやすく説明された記事を取り上げました。
①スペインと日本の考え方の違い
「バルセロナは、欧州内でレベルの高い試合を繰り返す。飛び抜けた才能を持つ子供たちが、常に最大限に力を発揮しなければならない環境にある。ところが日本では、十分な公式戦の数が確保されていない。特に中学や高校の下級生は、出場できる試合が少ない」
「さらに日本ではトレーニングの量に凄く拘る。だがスペインに限らず、欧州で大切にしているのは、トレーニングの質だ。グローバルに見て、10分間以上もボールに触れないトレーニングは、リハビリも含めてありえない。量をこなせば精神力が強くなるとは思わない」
ふたつ目、こちらもスペインで同様の話を聞いたのだけれど、「サッカーは徹底的に教えなければならない」という価値観であるということなんです。私は「サッカーは教わってはいけないよ」という発信をし続けているだけに、この違いには驚きました。しかし、良く聞いて見ると納得する内容でもありました。この記事もとても興味深いです。
②サッカーは徹底的に教えるもの
日本だと、好きでサッカーを始めて、自分でいろいろとチャレンジしながら自分で気づいていくのが望ましい。基本技術の練習もちゃんとやりますが、こういうのが大事だよ、だから身につけようね、というスタンスなんです。でもこちらでは、こういうのが大事だぞ、だからこれをやれと言ってやらせます。かなり細かく、『この技術でコントロールしてパスしたら、こっちに走れ、なぜならここから斜めにボール受けられるだろう』『ボールを受けた時に右足のインサイドでコントロールしなさい、なぜなら視野が広がるだろう』と、叩き込むんです。判断を奪うメニューも多いです。サッカーをする上での土台作りを徹底的に、という感じです。
でもその分、しっかりと理論が整理されているし、子供たちも年齢が低いから言われたことはどんどんやって吸収していくんです。そして年齢が上がるにつれて、それを使ってどうプレーするのかを考えるようになっていくという感じです。日本では、子供のころは自分が気づいたことをイメージを持ってやってごらんといって始めるんですけど、年齢とともにああしろ、こうしろと言うようになる。そうすると、言われた時に引き出しがないということが起きる」
――教える順序が逆なんですか?
「とにかく高いレベルでできることをいっぱい増やしていって、年齢が上がるにつれてそのときどきのシチュエーションで選びなさいというようなスタンスです。それにこちらの子供たちは、叩き込んでも自分のやりたいことも積極的にやるんですよ」
3つ目はイングランド・プレミアリーグのレスター・シティで戦う岡崎選手のブログです。本気で人生を生きる男の言葉には力があります。多くの人に読んでもらいたい記事。
岡崎選手の言葉
— KEI 粘り勝つ2017 (@Keivivito) July 9, 2017
本気で生きる人間の言葉
プロフェッショナルとは https://t.co/ZVMFvDtCWB
②自分が自分の全てを受け入れること
僕にとっての「プロフェッショナル」主義とは、まず自分が自分の全てを受け入れること。そして、それを周りに受け入れてもらう努力をすることなのだ。自分はこんな人間だから受け入れてくれよ、と押し付けるのじゃなく、たくさんの人に出会い、さまざまな影響を受けながらも自分というものを形成する。その過程で失敗や成功はもちろんあるかもしれないが、でも、それをぐずぐず引きずることなくそこから多くのことを学んで、さらに泰然と前へ進むことこそが自分流の「プロフェッショナル」なのだと信じている。
サッカー選手としてだけじゃなく、人として、そこだけはブレずに生きてきた。でも、同時に、僕は結果の世界でも生きている。双方の間で僕は揺れ動く。もし自分がただ自分だけの価値観の中でこだわり、他の人には認めてもらわなくてもいい、自分だけの道を極めるだけで結構、と考えていたなら、それはそれで、また違った人生を生きていただろう。
でも、僕は周りに認められたい。少数の人間に認められたいわけじゃない、大多数の人間に認められたい。だから結果をとりにいく。結果を出せば全てが変わる。 自分を受け入れ、人に受け入れられて結果が出た時に自分は最高に幸せだと思う。
僕がどんなに泥臭くても、テクニックがないと言われても、結果が一つ出るだけで、全てひっくり返るのが、今、僕が生きる世界というものだ。人としても、サッカー選手としても、最後の瞬間までそこにこだわりたい。これが僕のプロフェッショナル。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…