子供の頃、たくさん遊んだな。
勉強した時間より、遊んでた時間の方が圧倒的に長かった。
もちろん成績はよくなかった。だって勉強しなかったからね。
でも、たくさんサッカーで遊んだから周りの子達より上手くなったし、上手くなった分だけ楽しくなった。もう少し勉強しとけばよかったと思うこともあるけれど、勉強なんてやりたいと思った時、やらなきゃと思えた時にやれば大丈夫。
(いまとても苦労して勉強しているけど、それはそれで楽しい。)
それよりもどれだけ本気で遊べるか、真剣に遊べるか、夢中になって没頭できるかが重要で、その感覚はとても大切にしなければならないことだと思ってます。
社会に出て仕事をしていてもよく感じることだけれど、遊び心がない人間に良いものは作れない。良い仕事はできない。
勉強ばかりして頭がカチコチな人間をたくさん見てきました。
ルールを守るためのお勉強ばかりしているからルールを壊す発想が出てこない。面白いのはルールを守ることではなく、ルールを破ることだったり、ルールを作ることなのに。
遊ぶことなしに進化はあり得ない
素晴らしいビジネス書に必ずと言っていいほど書かれていることが、遊ぶことの重要性だ。この本はとても学びが多かった。
遊ぶことで、私たちの視野は広がり、常識にとらわれないやり方が見えてくる。意識の流れが豊かになり、新たなストーリーを発見できる。
【参考書籍】エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする
優秀なビジネスマンは遊びにも長けていることが多い。よく遊び、よく学び、そして人々に笑顔を提供する。
頭の固い大人は多くの場合、遊び心がない。そんな大人の多くが子供を遊ばせることを制御する。
もっと表現させてあげて良い
私は多くの大人が子供たちを制御しようとし過ぎているように感じる。もっとありのままに表現させて良いのだと私も思う。
成長とは 何者かに「なる」ことではなく、 ありのままの自分に「還る」こと
【参考書籍】子どもはみんな天才だ!
子供に社会のルールを必死に教え込もうとする頭の硬い大人が多すぎるがために、子供たちの表現が奪われているケースが多い。社会のルールは時代とともに変わる。頭の柔らかい人間がルールをどんどん作り変えているということを理解できない大人がルールを守らせようと躍起になるのだろう。
ありのままの表現が大切
もっとありのままに表現させてあげて良いのだと思う。
しつけや、教育という名の強制や矯正があまりにも多すぎる。本当に大切なのは自分を上手に表現することなのに、 子供が表現する機会を奪い、更には表現を抑制することに熱心な大人を多く見かける。とりわけ子供たちのサッカーの現場ではあまりに酷い光景を目にすることが多い。ありのままに表現させてあげれば良い。
もっと表現させてあげたいと思う。
もっと遊ばせてあげたいと思う。
遊ぶことなしに子供は成長しないのです。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…