世の中に溢れている情報に流されて生きていてはダメになるなあと感じることが多々ある。
お金がなければ生きていけないとか。
スーツを着て会社に行かなければならないとか。
毎日3食きっちり食べなければならないとか。
そういう他人の価値観で生きているとダメになる。
自分はどうしたいのか?
何が正しいと思うのか?
それを知ることが大切なのだと思う。
自分はどうしたいのかを追求する
周りの多くがそうしているからという理由で同様の選択をしているようなことがあれば、ちょっと立ち止まって考える必要がある。
人間は誰かと同じことで安心感を得る生き物だからだ。
本当にそれが正しいのか?
本当にそれを選ぶべきなのか?
自分はどうしたいのか?
そこをもっと考えなければならない。
世の中は、周りと同じようにできなければならない空気感に満ちている。そうしなければイジられる。変人扱いされる。そんな同調圧力に包まれている我が国には年間3万人を超える自殺者が出ているのだそうだ。
そんな異常な社会の空気に同調する必要なんてないということです。
自分以外の誰かの声に耳を傾けるよりも、自分の内側と対話する方が有意義だ。
意識的に感覚を磨かなければ退化する
例えば、勤勉なサッカー指導者たちはあらゆるメソッドを学ぶことに熱心だったりするのだけれど、私は人から何かを教わることよりも自分の感覚を大事にしたいと思っている。
そこで私は、サッカーを感覚的に上手くなるためにどうすれば良いかというテーマを考えた時に実践したことがある。
裸足で外を走る。
裸足でボールを蹴りに出かける。
(これは現在も続けています)
そうすることで色々なことがわかる。
道路の上を裸足でドリブルしていると、痛い場所と痛くない場所がわかるようになる。
綺麗に舗装された道路は痛くないけれど、砂利が多い道路は痛くて走れなかったりする。
芝生の上を裸足で走る快感を感じることもできれば、ボコボコの土の公園でリフティングをする難しさを知ることもできる。
裸足でプレーすることで足のどこでボールをコントロールすれば良いのか知ることができる。そうして感覚は磨かれていく。
つまりこういうことが言いたい。
自分のアイデアを試して経験値にすること
他人の意見や世間の常識を無視してでも自分で考えたことをやってみることが大切なのだと思います。どこかの成功者と呼ばれる人のアイデアや考え方を学ぶことももちろん大切だけれど、それよりも自分で考えてアイデアを出し、それをやってみること。
その経験がきっと独自性を生み、個性になるのではないかと思う。
自分にしか表現できないこと。自分にしかできないコーチングを…。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…