顧問のパワハラ問題、部内のいじめ問題、土日も部活で休みがない顧問問題…
多岐にわたる部活動の問題…、なぜ解消されていかないのか、そもそもなぜこれらの問題が生まれてしまうのかを知るために、様々な記事を読んでいた時にこちらの記事に出会いました。部活問題の背景について、一部記事から引用させていただいてご紹介します↓
部活動のこれまでの歴史
部活動は、もともとは生徒が好きで楽しむもので、戦前も盛んでした。朝日新聞社が支援する高校野球もそうですね。純粋に部活動をしたい生徒が面白いからやっていて、むしろ学校側が熱心すぎる生徒にストップをかけたりして、過熱する部活動をどう抑えるのかに苦心していました。それが戦後は反転します。学校が部活動を推奨、強制するようになるのです。この背景には「子どもの自主性」という価値観が関わっています。戦時中に学校が軍国主義的な教育をしたことで、一方的に上から注入する教育ではいけないという反省から、民主的な人間を育てるにはどういう教育をすればいいのかという議論の中で、「子どもの自主性」が重要な論点になりました。生徒が自分の力で試行錯誤し、自分たちがしたいことを作り上げていくためには、「子どもの自主性」を尊重することが大事だと考えられ、そうした考えが部活動を後押ししていきました。
戦後に始まった民主主義社会で、部活動はすばらしいものであり、学校としてサポートしようという価値観の転換があったのです。
部活動が強制されるようになったのは戦後で、「子どもの自主性」を尊重するために…、とのことで、自主性を育むために部活を強制するという考え方に違和感を感じつつも、このような歴史を知ることで現在部活動での問題の本質的な背景の理解につながるかもしれないと思いました。
日本の部活動が世界的に特異なのはなぜか
戦後の民主化が一つ目で、二つ目は1964年の東京五輪が契機です。五輪に向けていい選手を育てようと、身体的な能力を伸ばすことが教師の役割になりました。そして五輪が終わると、一部の選手だけでなく、すべての生徒に平等にスポーツの機会を与えようとしました。部活動に関心のない生徒も対象になるようになり、60年代後半以降に部活動の加入率は上がっていきました。
三つ目の拡大期は80年代で、非行問題が背景です。「スクール☆ウォーズ」という、非行生徒をラグビー部で更生させる学園ドラマがヒットしましたが、部活動は非行予防や生徒指導に有効だとされ、どんどん拡大していきました。
その拡大が続いたまま、部活動をめぐる様々な問題が出てきて、これは大変だ、これからどうするのかと議論されているのが現在です。
部活問題の歴史を知ると納得することも多いのですが、さらにインターネットの発達、グローバル社会への変遷によって、グローバルスタンダートという価値観や多様性への理解が求められる中で、日本の部活というものが、いかに歪であるかという事実が炙り出されたように思います。
部活動に求められるもの
では、部活とはどうあるべきなのでしょうか。
就職に有利になるとか、何かの道具として役立つとか、副次的な観点から部活動を評価することとは別に、部活動それ自体に、人生を豊かにする上でのささやかな意義があるのではないか、と私は思っています。
これまでの部活のあり方って、競技力を高めること、そして人間力を高めることがある意味強いられすぎていたように思います。
部活は強制するものではないですし、主体性を育むための正しいアプローチをすることであり方そのものが変わると思っています。つまり主体性を育むために強制や矯正が必要という価値観を変え、ティーチングとコーチングを正しく使い分けるという指導者側の成長が鍵になると思っています。
そして一番大事なのは、生徒一人一人を見るゆとりを先生側に与える構造をつくらねばなりません。この前提が担保されずして部活が機能するとは思えません。事実としてあらゆる問題が起き続けています。
文科省がこれらの問題にキャッチアップしない以上は変わらないため、トップダウンでの改革を期待するという受け身姿勢ではなく、ボトムである先生・指導者、そして保護者までもが教育の問題を考える必要があると思います。
そうすることではじめて文科省も、学校も変わらなければと動き出すのです。まずは私たちが問題意識を声にしていくことできっかけをつくることが大切なことだと思うのです。