元日本代表のコーチであり、スカウティングも長く経験された小野剛さんの「サッカースカウティングレポート 超一流の分析」の中には貴重で有用なレポートが記されている。その中の一部を抜粋してご紹介させていただきます。
勝つことだけを考える育成年代の指導者は退場だ
少年サッカー大会に参加していたチームの監督が、大事な試合を前に子供たちと別のホテルに泊まって相手のチームを分析していた、という話を聞いたことがあります。
もしそうだとしたら、いったいなにを考えているのでしょう。
大事な試合に臨む子供たちがどのような気持ちでいるのか感じ取り、どのようにアプローチすべきか考え、どのように伸びるのかを見守ってあげることこそ、一番大切なことではないでしょうか。にもかかわらず、試合に勝つことだけを考えて相手チームを分析するなんて、本末転倒にもほどがあります。
このような指導者がかなり多いのだと聞く。どんなに戦術に詳しくても、どんなに論理を上手に扱えても、選手の心が見えない(見ようとしない)指導者はその場で退場である。ジュニアのサッカーで重要なのは勝利だけではない。それがわからない人間に指導者など勤まるわけがない。子供が生き生きプレーできない原因のひとつである。
選手を堂々とピッチに送り出すこと
スカウティングは、指導者同士が105メートルx68メートルの盤の上で壮大なチェスを行うためのツールではありません。最大の目的は選手たちを堂々とピッチに送り出すことです。
ジュニアサッカーでありがちな光景の一つに、ベンチから大声で指示を出し続ける指導者たちの姿だ。まるでコントローラーを握って選手たちを操ろうとでもするかのように、熱心に指示を送り続ける。これはつまり、ピッチにいる選手たちを信用していないということであり、普段の練習からサッカーをさせていないということだ。
サッカーは自分で感じて、考えて、判断してプレーするものだ。それが全くできていないということなのだろう。
選手を堂々とピッチに送り出すことができない。子供が生き生きとプレーできない。つまり指導者失格なのだ。
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選手たちに躍動感がないのは大人に原因がある
相手チームを分析して、「このように攻めてくるだろうから、こう受けよう」とか、「右からこう攻めて相手を崩して、こんな感じでゴールを奪おう」と考えるのは、机の上の論理としては正しいかもしれません。しかし、選手たちが自分の判断で「そうしてみよう」と考えてピッチに立たない限り、躍動感は生まれません。選手たちは監督に動かされるロボットではないのです。
言われたことをパーフェクトにやれることが重要なのだと思い込んでいる大人が多い。大人の強制や矯正によって子供は一生懸命頑張るかもしれないが、そのプレーには躍動感が失われてしまっている。
選手自身が感じて、自ら表現したものでなければ躍動感は生まれないのです。
それを理解しなければ子供のポテンシャルは発揮させることはできない。
もっとプレーさせて良い
ルールはしっかり守らなきゃいけないとか、常に正しい行いをしなければならないなどと過度に押し付けすぎているような気がする。日本という国の治安が良くて安全なのは、その精神が一旦を担っているとは思うけれど、その反面ないがしろにされているのが人間の根源的な感情表現なのではないかと感じる。あれもこれもルールに縛られており、本来当たり前の感情表現すらしにくい社会になってしまっている。学校でも社会に出ても、ちょっと人と違うことをやればイジられる。
育成年代のサッカークラブにもその傾向はあるのかもしれない。
ルールを重んじることばかりを教えて、ルールを破ることの重要性は教えない。
言われたことをしっかりやることの重要性ばかり教えて、自由にプレーすることの重要性は教えない。
もっとプレーさせてあげたい。子供たちの試合を見ているとよく感じることである。
ルールに縛られず、なににも捉われず、自由に表現していいんだよと伝えたい。
もっと指導者が、大人が余裕を持ち、寛容になる必要があるのだと思います。
子供が生き生きプレーで切るように。。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…