今回は私が愛する人に無理矢理にでも読ませたいと思う記事を3つ厳選してみました。
それぞれの記事を読ませたい人がいる。あいつに読ませたい。あいつが読んだらどう感じるだろう。喜ぶかな。ウザがるかな。でも読ませたいな。そう思う記事をここに紹介したい。
1.私の愛するサッカー少年たちへ
2.私の愛する旅人へ
3.私の愛する社会不適合な友人へ
1.私の愛するサッカー少年たちへ
サッカーセンスってのは…
「センスは知識・経験をいかに客観的に近い将来へ活かせるか」
知識は頭で暗記するものではありません。 経験の中には未知への挑戦や失敗、友情や恋愛等も必要でしょう。
ファッションセンスはテレビや雑誌を見るよりも、パリやロンドンやニューヨークに行って磨いている人には敵いません。
サッカーも同様です。 沢山の映像や、本を読むより、ボールを蹴る事です。 強いチームとゲームをすることです。
強豪クラブやトップレベルの選手とボールを蹴っている選手には敵いません。 五感を磨くには意識しないで磨く事が必要です。
肌で感じるのです。 意識すると、学ぼうとすると、どうしても視ることが優先されてしまいがちです。 聞いたり、触ったり、嗅いだり、食べたり、を意識できると変わってきます。
考えるより感じろということ!
2.私の愛する世界を旅する友人へ
コスタリカの路線バスのドライバーの話
ひたすらにバラードをかけるドライバー。 お気に入りチームのサッカーの試合をラジオで流すドライバー。 ウエスタンハット&レイバン風サングラスのドライバー。
それぞれのバスが その人の好きで溢れた空間だったのですが、一度、こんなことがありました。ドライバーは、もうすぐ60歳くらいのおじさん。ラテンドライバーならではのスピードで、 直線では周りの車をぶち抜き、カーブは攻めに攻め、 サッカー選手だと、バルセロナ時代のロナウドみたいな運ちゃん。
赤信号で止まると、 何かを確認しながらバックミラーを動かし始めました。 そのミラーの先に映ってるのは、スタイル抜群の美女。
おじさんはその子に向けて盛んに目配せをして、 気づかれないとわかると手を振って、ナンパを敢行したのです。 しばらくして気づいた美女。
まったく嫌な顔をせずに、 愛想よく手を振りかえして、おじさんニンマリ。
微笑ましくてすっごくよかったのですが、 ひとつだけ困ったことは、信号が青に変わると、 美女のリアクションでテンション上がったおじさんが、 さらなる怪物ロナウドになってしまうこと。
コンポステーラ戦のときのような誰も止められない状態になり、 カーブでのスリリングさは半端なかったのでありました。 コスタリカやブラジルでは そういう「 その人自身 」が見える瞬間がいっぱいあって、 それはそれは愉快だったなぁ。 ( その分、面倒くさいこともあるんだけども… )
自分を表現するということ。自分のままでいいということ。
3.私の愛する社会不適合な友人へ
神は「お前は頭が固すぎる。もっと遊べ」と言っている。
この世の中に神と呼ばれるものがいたとしたら、神は「ああしなさい」とか「こうしなさい」とか、そういう命令や強制で人間をガチガチに縛ったりはしていないと思う。
基本的には「なんでもあり」で「好きにやってくれ(この世界を自由に楽しんでくれ)」と言っているのではないだろうか、悩むのが好きなら悩めばいいし、苦しむのが好きならば思う存分苦しめばいいけれど、楽しみたいと思うのならば、よろこびに触れたいと思うのならば、この瞬間から幾らでもはじめることができるのだということを、思い出させてくれる存在が神様になると思っている。
神は「お前は頭が固すぎる。もっと遊べ」と言っている。 21世紀の最高概念は「遊ぶ」だと思う。頑張る必要もないし、いい子(いい親)を演る必要もなければ、表現する必要も何かを達成する必要もない。
必死とか努力とか我慢とか、そういう類のものではない、肩の力を抜いた状態で「どれだけ遊び抜けるか」が試されているテーマパークとして、これから、世界は再認識されるようになると思っている。
ひとつ目の記事はスエルテコーチ時代、八ヶ岳で何度もお世話になった田畑さんの記事。大自然の中で大きな心で子供達を包み込むまるでアルプス山脈のように大きくて優しくて強い人。そんな田畑さんの紡ぐ言葉は常に力強く本質的である。
少年達よ。センスの本質を知れ!五感を磨け!
ふたつ目の記事は、MF有坂さんのブログ記事。
旅人のように自由な空気を纏った有坂さん。私は有坂さんの言葉を読むと旅とサッカーが無性にしたくなる。常に柔らかく陽気な空気を醸成する有坂さんの言葉は、理想の未来を想像させてくれる。
旅人よ。コスタリカに行け!そしてバスに乗れ!
みっつ目の記事は、家のない生活に終止符を打った坂爪さんの記事。
私は彼の紡ぎ出す言葉に心を射抜かれてしまい、会いに行ってしまったのが去年の3月。あの出会いがなければきっと今の私もこのブログも存在しないだろう。それほど大きな出来事だった。坂爪さんの言葉は多くの人間を救い続けるだろう。そして私が救われたように、きっと私の愛する友人も救われる。
「常に完璧でなければ誰にも受け入れてもらえない」というのは大嘘で、完璧だからひとに好かれる、完璧じゃないからひとには好かれないということは、自分が好きなひとのことを思い出せば「真っ赤な嘘だ」と、簡単に分かる。愛されるのは『晒け出された弱点(不完全な部分)』だったりする。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 10月 17
「やりたいことをやりながら生きるなんて無理だよ」的な発言を頻繁に耳にするけれど、やりたくないことをやっていても生きていくことができるならば、やりたいことをやりながら生きることは、(自分の本領も最高の熱量も発揮できることだし)実は、物凄い余裕なことなんじゃないだろうか。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 10月 16
サッカーの本質を追求する旅はつづく…