サッカーをセンスよく伝えるためには、やっぱりサッカーとは何かというのを知ろうとすることが大事なんだと思います。そして、伝える側の在り方というのもとても大切だと思うんです。
我々大人が、成長することを辞めてしまったら、子どもにいくら一生懸命伝えようとしても、伝えたいことが伝わらなくなってしまったりするような気がします。
いくら立派な言葉を並べても、目の前の子どもがその言葉を受け取れるタイミングなのかどうか、それを見極めることって指導者はとても大切にしないといけないんですよね。
ある少年サッカーの現場を見ながら、そんなことを感じた週末でした。
子どもにサッカーを伝えたいと願う人に、ヒントになりそうな記事をピックアップしてご紹介していきます。
田中碧がドイツで感じた価値観の違い
日本だと“上手い”がピラミッドの一番上に来て、その下に“速い”とか“強い”とか、そういう武器が来るけど、欧州では“上手い”というのはそこまで求められていないというか、“上手い”も“速い”とか“強い”とか“1対1が強い”とか“点が取れる”とかと横一線
日本以外の価値観を知ることってとても大切なことですよね。私も海外ではじめて、サッカーが上手いってどういうこと?という問いが生まれました。サッカーは上手い・速い(早い)・強い全部合わせて評価されるもの。目の前の子を見て、どこをどう伸ばすとよいのかしっかりと見ないといけないですね。
ラテンのサッカー文化
ラテンのオッサンたちは、やらなきゃいけないことがあってもサッカーをやってしまうらしく。
やらないと、足の震えが止まらないとか!?中毒症状がでちゃってるんですね。
(僕も正直、あぶなかったですもん)
そんな愉快な奴らをテキトーにチーム分け。
ビブスなんて酒落たもんはないから、シャツ組み対ハダカ組み(上半身だけですよ!)でKick Off!
道路がピッチですからグランドコンディションはいつでもハード。
トップスピードでドリブルなんかしようもんなら命取り、転んで肘や膝がズルむけになちゃいますから、足の裏を駆使しての引き技がうまくないとやってはいけません。(ちなみに足の裏でのボール扱いをピサーダって言います)
歩道など段差のあるときは、つま先でチョンとボールを浮かせて乗り上げるテクニックで相手の足ごとかわしたり、壁があれば、ワンツーで突破。
(これぞ!本当の壁パス)はたまた、ビリヤードのクッションよろしく前方の見方へスルーパス! こんな風にストリートサッカーはアイディアたっぷりのスーパーテクニックの連続なんです。
ちょこざいなことをされた方は、子どもだろうが何だろうがバチバチいきますよ。
本人日く「ファールのギリギリはファールじゃねー」なんていきがってましたしね。
いや〜どー見ても、ファールまるだしでしたけど…。
そこで削られちまった子は泣いて帰っちゃったりするんですけど、次の日もまた「今日こそは、やってやるぞ!!」って参戦して来るんですよねー。
南米をサッカーで渡り歩いた屋良さんの話、めちゃくちゃ面白いですし、サッカー文化を育むヒント満載です。記事全文読んでください↓
サッカーは誰のためのものなのか
人のサッカーを観ているよりも、自分がサッカーをすることが好き。
高校選手権決勝観に行くよりも、Jリーグ観に行くよりも、ボールを蹴っている時間の方が好き。見えない所でサッカーをやり続ける選手。
サッカーは誰の為なのか。
サッカーはなんなの?
誰がやるの。
関わる人間達がもっともっとサッカーの本質を感じるには、もっともっと下の年代に関わっていかないといけない。
失礼ながら、それがないから、上の年代に行けば行くほど、試合に勝つ、優勝、その為の選手獲得となり、選手は辛さ、耐えることとの戦いがメインとなっていくのではないか。
サッカーに向き合うコラソン(心)の問題は選手達ではなくて、育成年代の、表現する側の、関わる大人達の問題だ。
サッカーの心に火を灯す。
火を灯すにはその大人が火を持っていないと。
自分の火を少年に灯してあげないと。
田畑さんの言葉にはいつも揺さぶられる。どんなに時代が変わっても、人の心を動かすそれは普遍的なもの。戦術や技術、科学がサッカーにおいて発展してきたけれど、本質を忘れてしまってはいけないなと強く思います。まずサッカーを好きにさせること。心に火を灯すこと。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…