「最高のレベルを極めるには即興で作られる芸術が必要なんだ」
— Kei Imai (@Keivivito) 2015年12月27日
byジョージ・ベスト(北アイルランド・FW/MF)
m-floのMC、VERBALさんの”カニエ・ウェスト”とのセッションでインスパイアされた話が面白かった。
前もって書かないんですよね。歌詞を。普段から色んな本を読んで、色んな美術館に行って、色んな音楽聴いて、色んな人に会って、常にインスパイアされていて、たまたまスタジオ入るときは普段考えていることのスナップショットなだけみたいな感じなんですよね。
要は作品を即興で作っていくんだという。
私はこの話を聞いて大切なことに気づいた。
※動画は削除されてしまいました。
サッカーは即興であり、即興できないものは輝けない
ミュージシャンは音楽をつくるクリエイターだ。そして優秀なクリエイターは即興で創造できるのだとVERBALさんは言っている。普段の生活が創作活動そのものであるのだと。そういうライフスタイルを自分自身でつくることなんだと。
サッカーも同じ。
サッカーも即興で表現されるものだ。
即興でプレーを創造できる選手は、普段から頭の中に様々なイメージに溢れていて、いつでもそのイメージを表現できるような準備がでいている。
サッカーはいかに自由に発想し、それをイメージし、瞬時に表現するためのスキルが問われるのだ。いくらキックが上手くても、いくらドリブルがうまくても、状況に応じてその武器を出せなければダメなのだ。
「日本人コーチに即興性、柔軟性、創造性が欠けているから、選手にもそれが欠ける。コーチが本や紙を見ながらやっているうちに選手には違う現象が起こっている。その現象を見てコーチが判断する。サッカーはそういうスポーツ。コーチが変わらないと選手は変わらない。」
— Ivica Osim Goroku (@Osim_goroku) 2015年12月14日
コーチが変わらないと選手は変わらない
サッカーは即興だ。即興力のある選手を育てるには即興力のある指導者が不可欠なのだ。ところがいま即興力のある指導者は私の知る限りごくわずかだ。
少年サッカーの現場はひどい。多くの指導者の質が本当に悪い。サッカーなんて知らなくとも、教育の本質や人間として成長する過程において大切なことが理解できる人からみたら少年サッカーに携わる多くの大人が作っている空気感の異常さはわかるだろう。
指導者がサッカーの本質どころか教育の本質、人間の本質すら理解しようとしていない。なにもわかっていないのだ。きっとこれは言い過ぎではない。
オシムさんは日本サッカーに足りないものを明確に示してくれた。
その言葉は常に本質的で的確だった。
忘れてはならない。オシムさんが残してくれた大切なことを。
大人はより柔らかく在るべきだ。即興力は柔らかさの中から生まれる。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…
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