この広い世界には様々な文化が存在し私たちが住む日本とは全く異なる言葉を使い、全く異なるものを食べ生活している人たちがたくさんいる。
そんな全く異なるところで育つ人間が表現するサッカーも、もちろん全く異なる。サッカーの考え方も感じ方も違うだろう。
南米の情熱的で熱いサッカー
ヨーロッパの優雅でエレガントなサッカー
アフリカの変幻自在のサッカー
アジアの繊細なサッカー
実に多様で異質なサッカーが存在する。しかし、本質は同じなのである。
これまでに海外のサッカー選手を紹介してきた。私は紹介してきた選手たちを観察し、私が感じた本質を文字で表現してきた。
今回はこれまで紹介してきた選手の記事(アクセスが多い順)を振返ってみたいと思う。
〜セバスティアン・ジョビンコ〜 ”イタリア”
どんなに小さくても戦えるということ
ジョビンコを見ればわかるとうり、ピッチでひときわ小さい。
そんな彼がピッチで素晴らしい表現がなぜできるのだろうか。
屈強な大男たちを凌駕する為に、彼はピッチで自分を答えを見出した。
だからこそピッチにい続けられることができる
〜デニウソン〜 ”ブラジル”
デニウソンのプレーをみることは自由の獲得だった
こんなボールの持ち方ができるんだ!こんなドリブルありなんだ!こんなフェイント、こんなタッチもできるんだ。そんな発見はまさに自由の獲得だった。
見たこともないリズム。彼のピッチでの表現に魅了されていた。
いつも多くのディフェンスを引き連れている男だった。
〜ルイス・フィーゴ〜 ”ポルトガル”
ボールとともに移動するということ
常に自分のど真ん中にボールを置いてドリブルする。彼はボールを見てドリブルをするのではなく相手と空間を見てドリブルを仕掛ける。
〜レバンドフスキ〜 ”ポーランド”
サッカーは足でやるのではない。大事なのは身体全体の運用である。
レバンドフスキは高く上がったボールも自在にコントロールする。胸でトラップしてからの身体の使い方などを見ていると、とても上手いなと思う。ボールを思い通りにコントロールする為に大事なのは足ではなく身体全体をどのように運用するか、運用できるかというところなのである。
〜ジネディーヌ・ジダン〜 ”フランス”
『足の間にボールを置いたら後は自分でも何をするかわからない』
フットボールはアドリブなのである。ジダンがいうように、あらかじめ決められたプレーというのは存在しない。常に変化する状況の中で頭で考えてプレーしていたらとてもじゃないが間に合わない。身体全体で感じ、自分の感性でプレーをすることが求められる。フットボールは頭でやるものではない。勘違いしてはいけない。身体全体でやるものなのである。
偉大な選手は常に自分自身を上手に表現してきた。唯一無二の自分の表現を追求してきたのだ。誰かの真似ではなく、決して自分にしかできない表現をひたすら磨いてきた。
サッカーの本質はそこにある。
在り方は自由なのだ。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…
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