余計なものを捨てると人生が変わる
トピック「もうモノは必要ない」について
いままで自分が必要だと思っていたことが実は不要なことだった。むしろ余計なことだったという気づきがとても多い。例えば、サッカーで負けない強い身体をつくりたいと思ってたくさん食べることが実は怪我のしやすい脆い身体にしていたり、大量の情報をインプットしないといけないと思って頑張って毎朝新聞を読んでいたけれど、自分の感じたことや考えたいことをしっかりアウトプットすることの方が圧倒的に大事だと気づく瞬間がある。
自分の価値観を育てること
いままで必要だと思っていたことは本当に必要なのか考えなければならない。きっと不必要なものがたくさん見つかる。自分がやらなければならないと思っていることもやらない方が良い場合もある。今まさに自分の思考の是非を問う時がきている。新しい知識や情報、新しいスキルの習得が必要だと執拗に社会から迫られるが、そんなことはちっとも重要じゃない。世間一般の価値観を捨てて自分の価値観を育てることの方が圧倒的に大事だ。
いつも自分の中に”余白”をつくること
自分の中に”余白”をつくると本当に大切なものを受け入れることができる。いつもいつも100%生きる!と意気込んで仕事も勉強も筋トレも全力でやり続けることなんて不可能だ。いつも自分の中に”余白”や”余裕”がないと本当に大切なことは見えない。いつでも全力でやれ!という言葉を信じるな!いつでも”余白”をもて!余裕をもて!という方が良いと思う。
”消費する人”から”何かを生み出す人”へ
私は”消費する人”から”何かを生み出す人”になりたいと思う。
いまの世の中は圧倒的な過剰生産、過剰消費社会で大量の情報やモノが溢れかえっている。みんな一生懸命消費している。多くの生産物を贅沢に消費しているのに精神的にはいつも何かが足りていないという感覚になっている。そんな社会を生きていて感じることは、消費して得られる幸福感より、小さいことでも”自分にとって大切な何かを生み出す”ことの方が幸福になれるんじゃないかと思うようになった。
”ストックすること”から”シェアすること”へ
モノを所有することがカッコわるい世の中になっていく。もうすでにカーシェアリング、シェアハウスやシェアオフィス などがあるように車や家を所有するよりも共有する方が良いよね。という感覚が広まってきていると思う。私自身も所有欲はあまりなく、必要なモノは大抵そこらへんにあって誰かとシェアできれば事足りてしまうと思っている。生きるために所有しなければならないことなんてほとんどないんだよね。
今日書いたことはサッカーにおいても同じ。
いままで必要だと思ってた練習は不要かもしれない
いつも全力で100%でプレーすることは実は間違っていて「余裕」がないと良いプレーなんてできない
たくさん一生懸命練習する前に”自分は”どんなプレーを生み出したいのか”考えなきゃいけない
サッカーの本質を追求する旅はつづく…