
試合が終わったあと、ベンチ裏で小さな背中がうつむいていた。
「どうしてあのときシュート打たなかったんだよ」
父親の声が少し強く響いた。
その瞬間、子どもの目が一瞬だけ泳いだのを、僕は見た。
「次は頑張ろうね」
その言葉の裏にある“本当の想い”を、子どもは敏感に感じ取る。
褒められたい。認められたい。
でも、それ以上に「怒られたくない」という気持ちが先に立ってしまうと、
子どものサッカーは“守るためのプレー”に変わっていく。
勝ちたいのは、子どもか。それとも大人か。
僕たち大人は、知らず知らずのうちに「結果」を子どもに背負わせてしまう。
勝ったら笑顔、負けたら反省。
得点したら褒められ、ミスをすれば「次はどうするんだ」と詰められる。
でも考えてみたい。
子どもがサッカーを始めたとき、本当の理由はなんだっただろう。
泥だらけになっても楽しかったあの時間。
仲間と笑い転げながらボールを追いかけた放課後。
ただ“楽しい”という気持ちだけで、夢中になっていたはずだ。
勝敗に縛られると、心が縮こまる
過剰な期待は、時に「挑戦する勇気」を奪う。
ミスを恐れ、プレーが保守的になる。
「怒られないように」「失点しないように」と、子どもの思考が“守り”に変わる。
でも本来、サッカーはもっと自由なはずだ。
大胆に仕掛けること。
思い切ってシュートを打つこと。
うまくいかなくても、仲間と笑い合えること。
その“遊び心”の中にこそ、創造性や成長の芽がある。
勝敗へのこだわりが強すぎると、
その芽は息をする前に、静かに摘まれてしまう。
「楽しむ」ことは、甘えじゃない
ときどき「楽しむことを優先したら、強くなれない」と言う人がいる。
でも、楽しさのない努力は続かない。
楽しさのない挑戦に、魂は宿らない。
“楽しむ”というのは、ただ笑っていることじゃない。
うまくいかなくても、心が前を向けること。
負けても「またやりたい」と思えること。
そこにこそ、本当の向上心が生まれる。
大人の「まなざし」で、未来は変わる
サッカーを通して、子どもたちは“生きる力”を学んでいる。
挑戦することの楽しさ。失敗から立ち上がる勇気。
仲間と支え合う喜び。
だからこそ、僕たち大人が「結果」よりも「過程」を見てあげたい。
「今日は楽しそうだったね」
「思い切ってプレーしてたね」
そんな言葉が、子どもたちの心にどれだけ光を灯すだろう。
勝つことは、素晴らしい。
でも、それ以上に尊いのは、
サッカーを“好きでい続けること”だと思う。
その想いを守るのは、子ども自身ではなく、
私たち大人の“まなざし”なのかもしれない。