大人になってから学ぶサッカーの本質とは

サッカーの本質を追求するWebマガジン 考えるよりも感じることを大切に 美しさとは何かを感じる心を大切に 大切なものを失わない為に書き綴る

もっと自分のために生きて良い。自分のためにプレーして良い。

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チームのために一生懸命やらなきゃいけない。ミスをしたら連帯責任だ!

そんな“ 個人は集団のために”という価値観を植え付けられて育つ我々日本人。

みんなと同じようにやれなきゃいけない。はみ出さないように。レールから外れないように。日本の社会に蔓延する同調圧力はそこからきているのではないかと思います。

つい最近もこんなことがニュースになりました↓

「茶髪で生まれたら普通じゃないの?」 黒染めを強要された女子高生の想い

実にひどい話ですが、これをおかしいと思えないほど感覚が麻痺している大人が実に多い。特に教育に携わる人に多いのだと聞きます。残念なことに。

さて、「幸せになる勇気」という本は我々日本人の在り方を考え直すきっかけを与えてくれます。本書の一部を引用してご紹介します。

 

人と違ったって良いじゃない

いいですか、「人と違うこと」に価値を置くのではなく、「わたしであること」に価値を置くのです。それがほんとうの個性というものです。「わたしであること」を認めず、他者と自分を引き比べ、その「違い」ばかり際立たせようとするのは、他者を欺き、自分に嘘をつく生き方に他なりません。

幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

人と違ったって良いんです。自分らしく生きていくために、まずは自分自身を知ることこそが重要なのだと思います。多くの人が自分の外側の情報を集めること、学ぶことに躍起になっていて、自分の心の声と向き合う時間をないがしろにしているような気がします。そしてそう仕向ける社会もあるのではないかと感じています。

子どものために、といってやってることは実は自分のため

多くの親は子どものためにといって一生懸命やっていることが、実は自分のためにやっていることだったりする。例えば、親は医者になれば儲かるから医者になれという。自分の意思とは関係なく、それを強要する。親の価値観の中で勝手に子どもの道を決めてしまう。これは子どものためと言っておきながら自分にとって都合が良いからです。親は子どもを教育する責任があると言いますが…

どうすればその責任を回避することができるか? 答えは簡単です。子どもを支配することです。子どもたちに冒険を許さず、無難で、怪我をしないような道ばかりを歩かせる。可能な限りコントロール下に置く。子どもたちを心配して、そうするのではありません。すべては自らの保身のためです。

どうのように生きていくべきか、ということを私たちが真剣に考えなければきっと子どもたちにも伝えることはできません。

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自分の在り方を考える

人間の価値は、「どんな仕事に従事するか」によって決まるのではない。その仕事に「どのような態度で取り組むか」によって決まる

どんな仕事に従事するかに重きを置く人の多くは、周囲との比較で優位に立つことだったり、社会的ステータスのために生きている。どこかで自分の本質と向き合うことができなければ幸せとは何かを見いだすことは難しいかもしれません。

誰かを幸せにする前に自分を幸せにしなきゃいけない

自分が幸せを感じることができないのに、どうして誰かを幸せにすることができようか。誰かのために生きるのではなく、自分のために生きることが大切なのだと思います。チームのために自分を犠牲にしちゃいけない。自分のために努力をした結果、チーム力というのは上がるのです。もっと自分のために生きて良いのです。

サッカーも同じです。

自分のためにプレーすることを突き詰めて考えること。

自分が気持ちよくプレーできなければチームも機能しないという真理を知ることです。

自分を知るということは他者を知ることでもあるのです。一人ひとりの個性の違いを理解し、それぞれの魅力を引き出し合うことでチームとして最高の表現が生まれるのだと思います。

きっと集団で生きていくということの本質はそういうことなのではないかと考えています。

 

サッカーの本質を追求する旅はつづく…

 

keikun028.hatenadiary.jp