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大人になってから学ぶサッカーの本質とは

日本にいながら外国人リーグでプレーする私の目から見るサッカーの本質とは… 元サッカー選手、元サッカーコーチ、中南米放浪サッカー経験者として好き勝手語らせて頂きやす

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便利過ぎて整い過ぎた社会がサッカーを本質から遠ざけている 

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日本対イラク戦で感じたこと

昨夜リオ五輪出場を決めたイラク戦を観て私は感じたことがある。

日本とイラクのプレースタイルは対照的で安定感を求めカタチを大事にする日本とカタチなど気にしない、なりふり構わない野性的なプレーをするイラク。私は日本を応援しながらもイラクのような野性的な感覚の大切さも感じていた。

 

 

日本は贅沢病にかかっている

大事なのは安定していること。整っていること。統制がとれていること。味方が必ずいるべきところにいなければならないこと。ミスはしてはいけないこと。リスクはおかさないこと。このような条件が揃わなければ良いサッカーができないと思い込んでいる人が多い気がする。私は日本という社会は贅沢病にかかっているのだと思う。日本という国が便利過ぎて、贅沢過ぎるのだと思う。それ故、失われていることがある。

我々は世界屈指の便利大国に住んでいる。5万を超える数のコンビニが日本にはあるという。そのコンビニがあれば生活に困ることはほとんどないし、安くて美味しい店がいたるところに存在し食事にも困らない。我々はまぎれもなくその恩恵を受けて日々を生きている。海外ではタクシーに乗るとき、トゥクトゥクに乗るとき、買い物をするときは常に駆け引きが発生する。すんなり物を買うことが日本のようにできない。レストランに入ればチップも払わねばならない。やはり日本は便利なのだ。

そんな便利過ぎる社会はサッカーを本質から遠ざける。

野性的な感覚、狡猾な駆け引きが便利過ぎる社会には不要なのだが、サッカーでは求められる。”社会的に正しいこと”と”サッカーの正しいこと”は全く異なるが故に多くの指導者達は苦しんでいる。

 

想像性や創造性の枯渇

ボールがないとサッカーができない。グラウンドがなければサッカーはできない。シューズがなければサッカーができない。条件が揃わないとサッカーができない状態なのではないだろうか。一方で恵まれない国ではボールがなければ自分たちでつくるし、グラウンドがなければ道路でやるし、シューズがなければ裸足でやるのである。常に自分たちで創るのである。それだけじゃない情報もいつでも手に入る。ユーチューブをクリックすればメッシのスーパープレーがいつでも観れるし、バイエルンの凄まじいロンドもいつでも観れてしまう。しかし、私はこれは一概に素晴らしいこととは思えなくなってきている。

溢れる情報が想像する時間を奪っている

これに尽きる。みんなが面白い物をいつも探している。面白いもの、良いものを吸収するために情報を検索し続ける。サッカーで言えばネイマールのドリブル映像がタイムラインに流れてきた→それを何度も観て練習する。これは素晴らしいことだとは思う一方で、今の子供達、大人もそうだけれど、ぼーっと想像する時間はあるの?と感じている。想像することなしに創造はすることはできない。

今求められているのは情報を入れる時間よりも、自分の内にある情報を出す時間なのだと思う。それはきっと創造することに繋がる。

便利過ぎて整いすぎた社会はサッカーを本質から遠ざけている。

社会が人間をスポイルする過保護な状態なのかもしれない。

 

サッカーの本質を追求する旅はつづく…

keikun028.hatenadiary.jp

 

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