「カルチョの休日 イタリアのサッカー少年は蹴球3日でグングン伸びる」
連日ご紹介しているこちらの本ですが、イタリアと日本という二つの視点と、その二つの社会とサッカーの考察が大変面白いです。
今回は、子どもたちのポジションがサッカーにおいてどのように決まっていくかという話をご紹介するのですが、文化、国民性の違いが見事に反映されていて面白いなと思いました。
日本だと、コーチや親がその子の特性を見て決めていくことが多いですが、イタリアはそうではないようです。
どちらがいいとかそういうことではなく、その違いを知ることで得られる視点があると思います。
イタリアでは子供たちのポジションはどのように決まっていくか
イタリアの子どもたちは自立心や主体性がとても強く、大人の言いなりにはなりません。それが顕著にあらわれるのがポジションです。
日本では近年、幼い頃は多くのポジションを経験させる方がいいという考えが広がっているようです。確かにそうすれば、自分に合う場所が見つかるかもしれません。
しかし、イタリア人はそうは考えません。サッカーは自分がやりたくてやるものであって、誰かにやらされるものではないからです。
自分のことを自分で決めたいイタリア人は、子どもであっても自分のやりたいポジションをはっきりと主張します。
では、子どもたちはどうやって自分のポジションを見つけるのでしょうか。
幼いころから公園でサッカーをして遊び、スタジアムやテレビでサッカーをたくさん見ている子どもたちは、自然に好きな選手のマネをするようになります。
イタリアの子どもたちは、「このポジションがやりたい」という強い意志を持ってグラウンドにやってきます。
どう見てもストライカータイプなのに、「俺はセンターバックとして生まれてきた」と信じて疑わない子が多い。
そんな子をフォワードにコンバートしようものなら、すぐにクラブを移籍してしまうでしょう…
自分で選べるようにすること、サッカーを観る機会をつくること
大人に決めてもらう、教わる日本と、自分で決める、プレーするイタリアの違い。面白いですよね。
国民性、教育文化の違いを感じます。
日本では、まずは子供たちがなににおいても自分で決められるようにアプローチをしていく必要があります。
また、子供がこのポジションでプレーしたいと言えるほど、サッカーを観る文化がないこともあります。
この点はサッカーにおいては日本がどうしても後進であり続けてしまう理由でもあるので、地道にサッカーの魅力を子どもたちに伝えていかなければならないところだと思います。
ただ、真面目さや探究力は、世界に誇れる職人を生み出す文化があったり、強みになるところを上手く残しつつ、サッカーにおいて日本の弱みであるコミュニケーション、表現する力を出していけるようにしていけたらいいなと思います。
日本人はサッカーに適応しにくい性質を持っている
日本は、国民性や教育文化などからサッカーに適応しにくい性質があると感じています。詳しくは下記に書きましたが、サッカーという不確実性の高いゲームに対して、確実性の高い社会をつくり上げた我々日本人には難しいスポーツなのではないかという考察をしました。
とはいえ、上手く適応する術はあると思います。
日本サッカーがここまで強くなったのですから、まだまだ可能性はあると思います。
その辺りも少しづつ考察して行きたいと思っています。