“いなす”こと
“かわす”ことができる選手は力の抜き方を知っている。
相手の殺気を感じる力
相手の動きの先を読む力
それが身につくとピッチでの自由度が増す。
でも、それだけではいけない。
いなすだけでは試合に勝利することはできない。
よほど力の差がない限り、90分“いなし続ける”ことは困難だ。
相手をいなしたら必ず相手の出方が変わってくる。
強ければ強いほど個々の駆け引き、チームでの駆け引きが熱を帯びてくる。
試合には“流れ”というものがある。
潮の流れのように、急に流れが変わることがある。
それをコントロールすることはできない。
自然の摂理のようなものだからだ。
本能的に理解できる人はわずかだ。
それがサッカーというもの。
だからこそ、ここぞというタイミングで戦わなければならない瞬間がある。
突き刺しにいかなければならない瞬間がある。
それを見極めることができるかが勝負の行方を左右する。
力を入れる瞬間
静から動へ転じる局面を見極めなければならない。
力を入れる瞬間を知ること。それは試合の流れを知ることであり
相手の感情を知ることである。
目の前の相手がどんな状況に置かれているか、どんなプレッシャーがかかっているか想像することなしに先手をとることはできない。
闘う気持ちを出す瞬間
ここぞというタイミングでゴールを狙う瞬間もあれば、
絶対にやらせてはいけない局面がある。
サッカーはこの駆け引きの連続だ。
どんなにテクニックがある選手でもそれだけではサッカー選手になれないのである。
本当に良い選手は闘う気持ちを持ち合わせていなければならず、
駆け引きできなければならず、その為の巧さがなければならず、
それはつまりインテリジェンスがなければならないということ。
さあ、どうやって選手を育てればよいのだろうか。
どのように教えればよいのだろうか。
私は子供たちにこう言いたい。
サッカーを教わってはいけないよ。自ら学び、自ら感じ、表現すること。それを磨きなさい。
サッカーの本質を追求する旅は続く…