教えることの本質とはなんなのか
目の前に飢えていて疲れている人がいます。あなたは魚を釣ってあげますか?それとも釣り方を教えてあげますか?
自分で考えて自分で決め自分で行動するこういう自立心を育てていくんだ
当たり前のことを当たり前のようにできること
子供が小さい時に親が教えなければいけない大人には当たり前でも子供には当たり前ではないのだ自分で気付くのには限界があるから当たり前度が低いまま大人になってしまう
子育てではまず当たり前のことを何度も教える
そして当たり前のことが当たり前にできるような子供にするのだ

当たり前のことを繰り返し教えられた子は地道な努力が苦になりにくい苦にならなければ続けられる人間として大成するための下地は突飛なものでは出来ていない当たり前のことが出来る子が何十分もリフティングできるようになっていくのだ
魚の釣り方を教えるのがコーチング
魚の例で言えば釣ってあげるのではなく釣り方を教えるのがコーチングだヘルプは釣ってあげること無条件で助けてあげることだヘルプだとその場はしのげても問題は解決されず逆に大きくなるかもしれない

一方サポートによって釣り方を教えられた人は将来的に自分で船を作り海へと漕ぎ出し未知の魚を釣るかもしれない教師と生徒、親と子、上司と部下このような関係ではサポートがのぞましい
この漫画には教育の本質がとてもわかりやすく描かれている。頭の悪い生徒がいかにして東大に合格するかという物語なのだけれど指導者を志す人間の良い教科書になると思う。この漫画を多くの人に読んでもらいたい。
魚を強制的に釣る大人たち
私はサッカーの育成現場を見てきて、このような魚を強制的に釣る指導者たちを数多くみてきた。ところが会社員をやってみると以外と教えるのが上手い人が結構多い。これまでアルバイトも含めると10以上の職場で仕事をしているが、物事の本質を理解した上でちゃんと魚の釣り方を教えてくれる人もいる。数で言うと半数くらいだが、教育の現場の大人よりはまともな人が多い印象だ。つまり、”子供”というお金なんかよりも大切なものを扱う人間が全然ダメなんじゃないか?という結論になる。
多様な経験、豊かな感性のある大人になりたい
学校を卒業して、ちょっとしたアルバイトしか経験したことがない人間が教師になるのが普通の制度というのがそもそもおかしいのだ。もちろんそれでも優秀な先生、魅力的な先生がいるものわかってる。しかしだ、もっと色んな経験をした人が指導者になったっていいじゃないか。教員免許なんてなくたって素晴らしい指導者はたくさんいる。逆に教員免許があっても不適格な人間もおぞましいほどたくさんいる。
私がサッカーの指導に関わって強烈に感じたのはサッカーしか知らない人間にできることはわずかしかないということだった。
そして私は海外に出た。あらゆる仕事をしてお金を貯めて日本を離れたのだ。
あの経験がなければ、サッカーの本質も、教育の本質も、生きることの本質も考えなかっただろう。
あらゆる世界をみることで、あらゆる価値観を知ることで、我が国の素晴らしさを知り、我が国がどれだけ病んでいるかを知ることができた。だからこそ、子供の可能性を広げたいと思うのなら自分自身が世界にオープンでなきゃいけないのだと思う。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…
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