サッカーの育成年代を長年みてきて感じる違和感があります。
学生時代にはじめて現場に入って、こんなことを感じました。
「なぜやってはいけないことを指導者が平気でやるのだろう?」
「試合に負けた理由を練習量が足りないと言ってしまうのはなぜだろう?」
「子供たちが試合中にコーチの顔色ばかり伺うのはなぜだろう?」
私は海外の育成年代のサッカーを視察して、海外との違いを学びました。
私は社会人として働くことで、大人が子供にこのような指導をする理由がわかりました。
大人、つまり指導者は大人社会の常識をサッカーの指導現場で表現しているだけなのです。
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こちらの「つぶやき」をご覧いただきたい↓
仕事でもスポーツでも日本で「質より量」となりがちなのは、量をこなしておくと失敗した時の「保険」になるからなんですよね。「上手くいかなかったけど頑張った」となる。これは文化なので、ビジネスでもマネジメント側が意識して質や仕組みを評価する軸作らないと、長時間労働も減らないですよね。
— とくさん (@nori76) January 13, 2019
効率を追求して成果が出ないと「努力が足りないからだ」と怒られるリスクは日本だと間違いなく高いので、それならば少々非効率でも深夜まで必死に働いておこう、となるのは必然。実際深夜まで働いたことそれ自体が評価される文化がある。「働き方改革」最大の難所で、変えられるのは経営側だけ。
— とくさん (@nori76) January 13, 2019
経営管理してるとよく分かるんだけど、働いてる人が共通して持っている行動原理は「怒られたくない」なんですよね。これは地位を問わない。なので、日本において怒られないために一番大切な「長時間努力する」にみんなが動機づけられるのは当然。だからインセンティブ設計変えないとうまくいかない。
— とくさん (@nori76) January 13, 2019
私がフォローしている方で、非常に本質を突く発信をされている方の「つぶやき」です。
要はサッカーの指導現場は、大人社会の縮図なのです。
大人の頭の中を変えないといけないのですが、これを変えるのが非常に難しい。
なぜなら、おかしいと思っている人が少ないからです。間違っているかもしれないと考える人が少ないからです。
長時間労働を良しとする価値観は、練習量依存の価値観を作り、その努力は成果を上げることよりも指導者を納得させるためのものとなり(主体的に成長したいと子供自ら思うのではなく、単に指導者の顔色を伺うためのもの)、つまり「怒られたくない」が行動原理になってしまっているのだ。
この構図は大人社会そのものなのでは?ということです。
10年以上、社会人として様々な組織で働いてきましたが、多くの現場でこれは散見されます。つまり主体的に働いている人が少ないということなのではないかと思うのです。
なぜ、このような状況になってしまうかと考えると、多くの大人が主体的に自分の人生を考えてこなかったからなのではないかと思うのです。
みんなと一緒にいれば安心。
みんなと違うことをすると、いじられる…という同調圧力が強い日本社会は極めて思考停止しやすいのではないかと思うのです。結果として今このような現状があるような気がします。
しかし、私は思うのです。
これはサッカーの本質を伝えることで解決できるのでは?と。
なぜならサッカーは「認知」「判断」「実行」の繰り返しです。
ピッチでは自分の目で見て、考えて、判断し、プレーするものだからです。
その感覚を養うことでサッカーは楽しくなるのです。
つまり、サッカーの本質を知ることは、自分の人生を主体的に生きていくことに繋がると思うのです。
だからこそ、私は大人に向けて、「サッカーの本質とは?」を問い続けていきたいと思うのです。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…
サッカーは5で考える 可変システムがわかれば試合が10倍面白くなる! /プレジデント社/北條聡 | ||||
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