ドイツでのプレー経験を経て、現在は東欧の強国モンテネグロの一部リーグで戦う谷本薫選手(20歳)に記事を寄稿いただきました。
異国の地で感じること、海外生活から見えてくる日本という国…
現役の選手のみならず、これからプロを目指す若者たち、そしてサッカーに携わる大人も面白く読める内容です。
それではお楽しみください。
ドイツでの谷本選手のプレー映像
昨日のダービーマッチ。
— Kaoru (@ggg7018) 2017年4月14日
相手は3位で優勝に関わる試合で結果を出せたのはよかった。
ロスタイムに決められて引き分けたけど1位タイになったし、4部昇格へこっからが勝負。 pic.twitter.com/WLkbpkU2iC
モンテネグロでのプレー映像
サッカーが楽しかった幼少時代、サッカーが嫌いになった少年時代
僕のサッカー人生の始まりは、東住吉SCという地元の少年団でした。
そこで5年生までプレーしました。
毎日のびのびプレー出来て、サッカーする事自体が楽しくて仕方がなかった記憶があります。
試合の前日は雨が降らないことを願って、てるてる坊主を作っちゃうくらいに、心からサッカーを楽しんでいました。
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少年団の練習は基本的に土日だけ。
平日は色々なサッカースクールに通わせてもらったり、とにかく毎日サッカーをしていました。
誰かに指示されてサッカーをしていたのではなく、サッカーを主体的にやっていたので、この少年団にいた時に今の自分の基礎が出来上がったような気がします。
5年生の時に全国的にも強豪の横浜バディーSCにチームを変えました。
卒団までの約2年間、サッカーを楽しむことができなかった時代です。
サッカーが好きだということには変わりはないけれど、全く楽しめませんでした。
今でも忘れられないのが、猛烈な走りです。
試合に負けた時は特にひどかったです。
小学生にこんな走らせてなんの意味があるんだろう?
と今振り返っても思うのですが…
練習は週に4回か5回くらい、ミスするとひどく怒鳴られました。
ミスして怒られるのが嫌だったから、ボールを受ける事すら避けてた時期もありました。
チームの目標は全国大会出場。
結果的にチームは県の決勝で負けて、全国大会まであと一歩及びませんでした。
でも僕は試合に出た記憶はほとんどありません。
結果的にここで成長した実感もほとんどありません。
サッカーがつまらなくて、サボって友達と遊んでたこともありました。
自由があり、主体的に取り組んで成長できた中学時代
みんな中学進学と共にJリーグの下部組織や強豪の街クラブに行く中、僕は新設されたクラブチームを選びました。
そこでは公式戦がなく、毎週末に組まれる練習試合のみだったのですが、ここでの3年間にかなり成長しました。
毎回の練習で何が足りなくて、何を意識してトレーニングしようかなと、中学生なりに考えて毎回練習をしていたのが良かったのだと思います。
とても楽しかったし、本当にみんな自由にプレーすることができたのです。
ともにプレーした仲間は高校に進学する時には、そこら辺の強豪街クラブの選手が行くような進路と同じような強豪校に進んで行きました。
自由な環境で、それぞれが主体的に練習を積み重ねたおかげで、みんなとても成長したのです。
自分を殺してプレーしなければならなかった高校時代
高校ではチーム戦術に、自分の持ち味を上手くはめ込む努力をしました。
ここでは、小学生の時のように、コーチの顔色を伺いながらプレーしないと、試合に使ってもらえない環境でした。
ここにも自由はありませんでした。
だけど、試合に出るためには多少自分を殺してプレーしなければなりません。
僕の代は特別個性の強い奴らが多かったので、それを無理にまとめようとしても、まとまりません。
ここで感じたのは、指導者が選手を駒のように思い通りに動かしやすくするのではなく、個性を認めて受け入れる方が、絶対にうまく行くということです。
下のカテゴリーでのびのびやってきた選手が三年の時に化けてくる。
主体的に動いてる選手と監督の目を気にしながらプレーさせられてる選手では、1年後の能力に大きな差が出るんだなと高校3年間を通して感じました。
ドイツという国での経験、サッカー文化が選手を育んでいる国
そして卒業してすぐに俺は世界に目を向ける為にドイツに向かいました。
ここでは約一年半過ごしたけど、急激に選手としての能力が伸びた気がします。
プレーした環境は5部。
だけど、監督からかけられる言葉は日本とは全く違いました。
ここでの指導は、とにかく守備の戦術は頭に必ず入れないと行けない。
けれど、高校サッカーの時の指導と違い、攻撃を「型にはめる」と言うことは全くなかった。
ボールを奪うまでは、戦術としてチームが1つになって動く。
奪ってからは、自分達で考える。
奪った位置、その時の状況に応じて各自が判断を下す事が、チームの監督の考え方でした。
そして、各選手の特徴を最大限に生かす事を口うるさく言われました。
無駄にボールをもって、間違った判断をした時は、かなり周りからもキツく言われました。
判断力という能力に関しては、日本人とヨーロッパや南米の選手とではその基準が異なると感じました。
見てきたサッカーが違いすぎるからだと思います。
プレー中の判断とは、自分の頭の中にあるイメージを状況に応じて自分のプレーに落とし込むことだと思います。
見たことがないプレー、イメージしたことがないプレーは出来ないのです。
沢山試合を見ていると、似た場面、同じような状況によく、遭遇します。
それはプレーに反映されます。
子供の頃から家のテレビでハイレベルなサッカーに沢山触れる機会がある選手と、Jリーグか代表戦しかみれない国とでは、頭の中に蓄積されるサッカー観に明らかに差が出てくると思います。
ドイツではどこのカフェでも、どんな小さなアマチュアクラブのクラブハウスでも、サッカー番組が流れているのです。
だから、日本人は技術があっても、判断力がいい選手が少ないと言われるんだと思います。
それに気がついてから、自分自身の判断のそもそもの基準がすこしズレているんだと認め、判断については、監督や選手の言う事を素直に受け入れてきました。
確かに、Jリーグを見ても、基礎技術はかなり高いです。
しかし、無駄が多すぎる気もします。
高い技術だけを見て、一概にサッカーが上手いと判断してはいけないということだと思います。
そして最後に。
今までのサッカー人生を通じて、学んだことを書いておきます。
選手が化ける時は、自由を掴んでいる時です。
強制から生まれるものの価値は低いです。
自由は主体性が問われますが、無限の可能性があるということ。
そして、そこから引き出される個性にはとても魅力的なものです。
子供達にはもっと、自由にサッカーを楽しんでもらいたいと思います。
自分が楽しむ事が結局は一番大事。
そして若いうちから、もっと世界のサッカーに目を向けて、頭の中の引き出しを蓄えて欲しいと思います。
その映像をいざ引き出す時にそれを表現できるかどうかは、どれだけサッカーと戯れてきたかにかかっているのです。。。
ライタープロフィール
谷本薫
1997年7月18日生まれ20歳
東住吉SC→横浜バディーSC→文京クラッキ→実践学園→SV Bergisch Gladbach (ドイツ5部)→FK Rudar (モンテネグロ1部)
サッカーの本質を追求する旅はつづく…