大人になってから学ぶサッカーの本質とは

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ブラジル人少年の心を捉えた日本人選手の話 〜サッカーの本質を感じとる心〜

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”日本サッカーはなぜシュートを撃たないのか?” 

この本にはサッカーの本質が描かれている。

サッカーの本質を追求することがこのブログのテーマであり、それを多くの人に発信することが私のテーマにしていることであるならば、この本を紹介しないわけにはいかない。そして私と共にサッカーの本質を追求したい人がいるのならば是非読んでもらいたい。今回はこの本の一部を引用してご紹介させて頂きます。

 

 

ブラジル人少年の心を捉えた日本人選手の話

2013年のコンフェデレーションズ杯で日本がイタリアと接戦を演じたことがあった。その試合を現地に取材に行っていた著者は、ブラジル人の少年と出会う。

3-4でイタリアに惜敗し試合を反芻していた著者に声をかけてきた小麦色の肌の男の子。

「ねえ、きみは日本人なの?」

「そうだよ。サッカーを見にブラジルに来たんだ。今日のメキシコ戦も見に行くよ。」

そう答えると、子供は「ほんとうに?」と目を輝かせて、嬉しそうに喋り出した。

「イタリア戦の日本は素晴らしかったよ。特にシンジは、ものすごく危険なストライカーだと思った。ほんとうによく走るし、いいシュートをを撃つんだ。イタリア人が彼に悩まされてるのが、僕にもわかったよ。」

この子が言っているのはいったいどっちのシンジなのだろう。イタリア戦ではふたりのシンジが躍動した。

「ふたりともよかったけど、僕が気に入ったのはオカザキの方。きっと今日もゴールを決めてくれるよ」

わたしはちょっと感動していた。ブラジルの子どもが日本人のプレーに感動して、その気持ちをだれかに伝えたくてうずうずしている。おそらく少年にとって岡崎は初めて知った日本人だろう。 

上手い選手よりも怖い選手

それにしても、と思う。ブラジルの少年が心を奪われたのがピルロでもバロテッリでもなく、本田圭佑でも香川真司でもなく、岡崎慎司というのがいいではないか。

岡崎は決して上手くないが、敵の死角で息をひそめ、不意に飛び出し、ボールを奪う。もしくはゴールを奪う。できることが限られている岡崎のプレーには迷いがない。香川のように上手いプレーはできないが、香川には岡崎のように危険なプレーはできないだろう。 

私がこの物語で好きなのは、上手さばかりにフォーカスが行きがちなメディアや大衆に対して、いやいや本質はそこじゃないですよ。と気づかせてくれるところだ。サッカーはゴールを取り合うゲームだ。ドリブルやテクニックはゴールを決めるために磨く必要がある。岡崎の魅力に気がつくブラジルの少年はサッカーの本質を感じ取っている。 

 

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教えすぎると、ダメになる

かつてトニーニョ・セレーゾ監督にインタビューしたところ、「日本の指導者は、サッカーを約束事に落とし込んで教えたがる」と持論を展開し始めた。

「例えばAにパスが渡ったら、サイドからBが上がってきて、Cがサポートに回る。こういうふうに、何かと約束事を作ろうろするんだ。でも、考えてみてほしい。サッカーは敵味方が入り乱れた中で、ボールを足で扱うスポーツ。不確定要素が多いから、約束事通りにいかないことの方が多いんだ。だから約束事を設けすぎると、上手くいかないときに選手たちがパニックに陥ってしまう。教えすぎると逆効果にしかならないんだ。でも、こういう教え方が罷り通るのも当然かもしれない。約束事がきっちり守られることで、日本の社会は成り立っているからね。」

ブラジルとイタリアは世界で最も計画万能主義から程遠い国だ。この2ヶ国がW杯最多優勝と2位に君臨しているという事実が、サッカーの本質を物語っている。

 

私が日々感じていることが的確に表現されている。教えすぎ、教えたがり、教わりたがりな人たちが多すぎる背景にはこの日本社会の構造が根っこにはあるのだと思う。

サッカーの本質を感じとる柔らかさが必要だ。

捉われてはいけないのだ。

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サッカーの本質を追求する旅はつづく…

 

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