Hay que ser vivo!!
スペイン語で、「生きなければならない!」
直訳するとそのような意味になるけれど、生き生きとしていなければならない、とか、活力が漲っていなければならない、とか、命を燃やさねばならない、などというニュアンスがあるように思う。
彼らは、この言葉を何度も私に伝えた。
Hay que ser vivo!!
南米の国の人たちとフットボールをすると、嗚呼、生きるとはこういうことなのか、これがフットボールなのか、と感じることになる。
彼らのフットボールは”生きている”。そう表現せざるを得ない。
なぜだろう、彼らとフットボールをすると、生きている実感を得られる。
自分を解放し、感情をプレーに乗せることができる。彼らの意志が、感情が、ピッチにこだまする。
あまりにも、僕らが育んできたフットボールとは異なる。
確かに、苦しいトレーニングを経た勝利は格別で、達成感や充実感を味わうことはあった。その快感を求めて、苦しみを何度も乗り越えてきた。
でも、彼らのフットボールがフットボールであるならば、僕らのフットボールは、フットボールなのか?という問いが生まれてしまう。
フットボールに命が宿る。
いや、フットボールとは、命が宿るものであり、それを僕らは知らなかったのかもしれない。
いや、僕らのフットボールもフットボールなのかもしれない。
ただ、”違い”があるだけなのかもしれない。
熱狂とはなにか
日本のフットボールには熱狂が足りない。熱狂が足りないからフットボールが盛り上がらない、と言われる。
熱狂するとはどういうことか。
「血をわきたたせ、狂わんばかりに夢中になること」
辞書にはこのように書かれている。
では、フットボールに熱狂する人間が僕らの国にどれだけいるのだろうか。
フットボールに熱狂するとはどういう状態なのか。
ブラジル人やアルゼンチン人を見ると、嗚呼、フットボールに熱狂している状態とはこういうことなのか、と理解できる。
ブラジルリーグセリエAのフラメンゴ×サンパウロFCの試合。結果はホームのフラメンゴが3-1で勝利。会場は51,000名の観客動員。ワクチンパスポートもマスクも不要です!この大歓声がほんとに迫力ありすぎてとにかくすごいの一言。。。 pic.twitter.com/lI4SzZ7kb9
— 猿渡 悠 | ただのフリーランス (@yusaruwatari) 2022年4月17日
2015年11月1日。ボカVSティグレ。ロデイロのCKからモンソンのゴールが決まった瞬間。ボンボネーラが鼓動する瞬間をご覧ください。 pic.twitter.com/ln2xXrLAY1
— Isamu Kato (@isamilanga) 2015年12月21日
熱狂するには、どうやら感情を解放することが求められ、自分を表現することが求められそうだ。いのちを燃やすように、夢中になってチームをみんなで鼓舞することを楽しむこと。
いのちを燃やすとは?
夢中になるには?
みんなで鼓舞するとは?
そんな問いが生まれるほどに、僕らにはそれらの行為に馴染みがない気がしてしまう。
僕らは、人生でいのちを燃やすような経験をしてきただろうか、なにかに夢中になることはできただろうか、みんなで一つになって心を繋いで楽しむ経験をしてきただろうか。
している人も、していない人もいる。
熱狂するには、フットボールを通じて、これらの経験が必要なのではないかと思われる。そう考えると、僕らが熱狂できない理由がなんとなく理解できるような気がする。
僕らはもっと、いのちを燃やすようなフットボール、生命力あふれるフットボールができるように思う。
彼らに勝つためにではなく、フットボールをより楽しむために。
生命力あふれるフットボールができるようになると、きっと熱狂が生まれる。