僕はサッカーをほんのちょっとだけ面白くするただの1選手にしか過ぎない
ネイマールはサッカーを良く知り、自分を良く知っているのだ。仲間も相手も、みるものも、すべてにリスペクトを欠かさない。サッカーを面白くするのはピッチにいる選手だけにとどまらない。観衆も、それを見て感じるすべての人がサッカーを創っている。しかし、ネイマールはひときわ観衆を楽しませる魅力あふれた選手であることは間違いない。
つらいときは誰にでもある。それはサッカーでも同じ。ボールが丸いように(いいときも悪いときも)サイクルなんだ。あるときはいいし、またあるときは悪いんだ
サッカーも人生も同じ。そう捉える偉大な選手は数少ない。「考える力、乗り越える力、自立する心、仲間を慈しみ愛する心。サッカーには全ての教育的要素が凝縮されている。そしてサッカーは人生のすべてを教えてくれる。サッカーは人生の縮図だ」オシムさんが言った言葉を思い出した。
”日によっては(シュートしたら)ボールがすねに当たるときもある。たとえ一日中試合をしたとしてもゴールが決まらないこともあるんだ。あるときは天国にいるようだし、またあるときは地獄にいるようだ”
ネイマールが泥臭くプレーを続ける理由はこのようなサッカーの本質を理解しているからだ。カッコつけたプレーは一切しない。貪欲に何度も相手にチャレンジする。削られても削られても泥臭く、柔らかく、リズミカルに、自分の内から湧き出るリズムに忠実に勝負に励む。それでも時には地獄のような苦しみを味わうということを知っている。そして挑戦をし続ければ天国にいるような喜びを味わうことができるということもまた真理なのだ。
僕の原点はフットサルに始まり、裸足でプレーするストリートサッカーだ。このことが今のプレースタイルにつながっているのは間違いないよ
サッカーとフットサル、似て非なるものであるが双方から得られる感覚はプレーに必ず活かされる。裸足でストリートでボールを触ることで感覚が磨かれる。痛くない走り方。痛くない触り方。効率的な身体の使い方を自然に身につけることができる。
”僕には自分のスタイルがある。人の真似はしないし、誰かに似ようとも思わない”
自分のスタイルを追求することがなにより大切なのだ。誰かの真似を繰り返している限り自分のスタイルは生みだすことはできない。
サッカーはチーム競技だが、突き詰めると究極の個人競技でもある。
— KEI 整える。準備の1月 (@Keivivito) January 13, 2016
自分のリズムを刻むこと。チームメイトそれぞれのリズムを知ること。チーム全体のリズムを感じること。相手のリズムを感じること。そしてリズムで遊ぶこと。
— KEI 整える。準備の1月 (@Keivivito) January 14, 2016
自分のリズムを愛することなしに、誰かのリズムを愛することはできないhttps://t.co/R97l3Idqpo
自分のリズムを愛すること。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…
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