いまという時間がすべてである
北野武さんのインタビュー記事を読んで、改めて”いまこの瞬間”の大切さを忘れてはならないと強く感じた。
下記の引用をまずは読んでほしい。
人がほんとうに生きられるのは、今という時間しかない。その今を、10年後だか20年後だかの明日のために使ってどうしようというんだろう。 昔はそういう人間を、地に足が着いていないといった。 夢なんかより、今を大事に生きることを教える方が先だったのだ。 まだ遊びたい盛りの子どもを塾に通わせて、受験勉強ばかりさせるから、大学に合格したとたんに何をすればいいのかわからなくなる。 夢なんてかなえなくても、この世に生まれて、生きて、死んでいくだけで、人生は大成功だ。 俺は心の底からそう思っている。 どんなに高いワインより、喉が渇いたときの一杯の冷たい水の方が旨い。 お袋が握ってくれたオニギリより旨いものはない。 贅沢と幸福は別物だ。 慎ましく生きても、人生の大切な喜びはすべて味わえる。 人生はそういう風にできている。
そんなことは、誰でも知っている。 だけど、そんな大切なことも教えないで、夢を追いかけろという。 頑張って勉強して、スポーツやって、起業したり、有名人になったりしなければ、幸せになれないと脅す。 そうしないと経済成長が止まって、大変なことになってしまうからだ。 だけど、大変なことになるのは、いったいどこの誰だろう。 少なくとも、清く貧しく美しく生きている奴ではない。
本当に大切なことはなんだろうか
いまの世の中は、成功しなければ幸せになれない。圧倒的な努力をしなければ成功しない。いまの自分より圧倒的に成長しなければならない。と思い込まされている。
この文脈に決定的にかけているのは、その人にとっての幸せの価値観であると思う。
みんなの幸せがお金を持つことであるわけがない。幸せとはなんだろうか?
人間にとっての幸せ、生き物にとっての幸せ、自分にとっての幸せはなんだろうか?
こういうことをもっと考えなければならないのだと思う。
夢なんてかなえなくても、この世に生まれて、生きて、死んでいくだけで、人生は大成功だ
私には温かい家族や仲間がいればいい。そこにサッカーがあればいい。
これは最高に贅沢なことだと思うのだけれど、大金が必要なわけではない。
豪華な食事や高価な車や高級な装飾品も必要ない。そんなものは私を幸せにしない。
私を幸せにできるのは人であり自然にそこに存在するものであり、そんな人が創造するサッカーなのである。
幸せは目の前に転がっている。その幸せを拾うことが難しくなっている。
自分の幸せが一体なんなのか見えにくい世の中になってしまい。目の前に転がる”幸せ”に気がつかない。
たけしさんが言うように、この世に生まれて、生きて、死んでいくだけで、人生は大成功なのだ。明日死ぬかもしれない。明日死んでもいいように”いま”を大切にしていきたいと思う。
遊びを極めた先に次のステージがある
サッカーの楽しさを忘れてしまう瞬間も同じである。
強くならなければならない。上手くならなければならない。という圧力がサッカーの根源的な楽しみを奪うことがある。
もっとボールで楽しく遊べばいい。ひたすら遊べばいい。それを繰り返した先に、遊びを極めた先に次のステージがある。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…
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