大人になってから学ぶサッカーの本質とは

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日本人は自分たちのサッカーを客観的に観ることができない

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私は、少年時代は少年団、中高大は部活動(一時期はクラブチームにも所属)でサッカーをしてきました。

大学を卒業してから中南米をサッカーしながら旅をして、帰国後も多国籍の仲間と約10年プレーしています。

いろんな国の人たちとサッカーをしてみて、思うことがあります。

それは、日本のサッカーは特殊であるということです。

 

日本でプレーしていた時に、当たり前だと思っていたことが、海外ではそうでなかったり、プレーの仕方や、強度が違うということに気がつけたのは、やはりいろんな国の人とプレーをしなければ気がつけなかったなと思います。

 

以前、南米の仲間たちのチームで日本人のチームと試合をした時のことです。

球際の激しさ、体をぶつける頻度が南米の人たちは日本よりも高いのですが、それに慣れていないからか、相手の日本人チームはコンタクトがあるとすぐにファールを要求し、逆に悪質なファールをするようになってきて、試合が大荒れになったことがありました。言葉がわからないことをいいことに、差別発言のオンパレードで、私は驚いてしまいました。仲間を侮辱されて許し難かったですし、それ以上に日本人としてとても残念で恥ずかしい気持ちになりました。

 

その試合の中で言われた言葉が忘れられません。

 

「そんなのサッカーじゃねーよ。サッカーをなんだと思ってんだ。」

 

私のチームには、ブラジル人、アルゼンチン人、ペルー人、イギリス人が所属してました。日本よりもサッカー文化が発展した国の人たちばかりなんです。

つまり、大人になるまでサッカーをしてきたようで、サッカーをしてこなかったんだということなのだと思います。サッカーの捉え方が全然違うということです。

 

また、日系ブラジル人の指導者の仲間はこんなことも言っていました↓

 

ドイツのセミプロリーグでプレーしてたサッカー仲間はこんなことも言っていました↓

 

つまり、我々日本人は、海外のサッカーをテレビやインターネットで観ることはできるようになったけれど、彼らのサッカーを体感する機会がないが故に、自分たちのサッカーを客観的に知る機会が持てないのだと思います。

 

私も大学まで日本でサッカーをしてきて、外国人とサッカーをする機会はほとんどありませんでした。彼らがどんなプレーをするのかもわからなかった。

 

私たちは、自分たちのサッカーを客観的に観ることができるようになる必要があると思います。その上で、自分たちの歩むべき道を探っていくことが大事なのではないでしょうか。サッカーは相手がいないと成り立たないゲームなのですから。

 

もっと日本でも海外の人たちとボールを蹴る機会を増やしていけたらいいなと思います。

 

日本のサッカーはノビシロだらけだと思います。行き先を間違えなければ…

 

 

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