大人になってから学ぶサッカーの本質とは

サッカーの本質を追求するWebマガジン 考えるよりも感じることを大切に 美しさとは何かを感じる心を大切に 大切なものを失わない為に書き綴る

純粋な思考が、管理社会では不純物

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純粋な心、熱い情熱を持ち続けることができる人間に私はとても惹かれる。

日本という社会で生活していると、どんどん個性が淘汰されていくような気がする。

 

社会に適応しなければならない。

ちゃんとしなければならない。

周りと同じようにできなければならない。

和を乱してはならない。

空気を読まなければならない…

 

「〜しなければならない」に強いられすぎている。

「〜したくてしょうがない」が不足しているのだと思います。

 

 学校なんて行かなくてもどうにでもなる。 

いま、高校二年生の女の子A様がごちゃまぜの家にいる。話を聞くと「学校では受験受験みたいなモードになっていて、大学に行かない人間はひとにあらず的な雰囲気もあるくらいで、わたしはそれにいい感じに洗脳されつつあると言うか周囲から刷り込みまくられているのだけれど、でも、冷静に考えると大学なんてまったく行きたいと思っていない自分がいるというかそもそもで勉強が全然好きじゃないということに最近気がついてしまったのですがどうすればいいでしょうか??」みたいな話をした。 A様は「(高校は)みんな同じ時間に来て、みんな同じようなことを考えている。そのことがなんだかものすごい狭くて、時折頭かおかしくなりそうになる」と話してくれた。私は「素晴らしい感受性だなあ!」と思ったので、あなたの感受性は最高に素晴らしいと思うからどうかその感受性だけは死守していただきたいとお祈りしていますと伝えた。「学校なんていかなくてもどうにでもなるよ」などと軽々しく言ってしまう私は、もしかしたら彼女に悪い影響を与えているのかもしれない。でも、実際どうにでもなるのだと思う。テレビやネットでは「どうにもならないかもしれない」不安や恐怖を煽る情報が大量にあふれているけれど、リアル社会に踏み出せば「意外とどうにかなっているばかりか、想像以上に楽しそうに生きている人種」は結構な数、いる。 その後、私たちは「どれだけ耳当たりの良い言葉でも、直感的に『なんだか嘘っぽいな』と感じる言葉は聞き流す」とか「やりたいことをやるのも大事だとは思うけど、やりたくないことをやらないことも同じくらい大事だと思う。笑いたくないのに笑っておくとか、沈黙が怖いから何かを話しちゃうみたいなこととか、そういうのは要らないと思う」とか「そういうのができるひとをいわゆる『社会性(社交性)のあるひと』とか言うのかもしれないけど、でも、無理をしすぎて潰れるひとたちを結構見て来た。笑いたいときだけ笑うひとの方が、俺の場合は信用できる。愛想笑いばっかりのひとよりも、笑いたいときだけ笑うひとの方が『いい笑顔をするひとだなあ』と感じることは多い」

ibaya.hatenablog.com

 

純粋な思考が、管理社会では不純物

考え方というか、感じ方。

喜び方というか、笑い方。

最低のハナシが、最高の話。

純粋な思考が、管理社会では不純物。

まだ、たったの8年。

8年前のこの季節に、たったの30回でスタートしたリフティングが40,000回に化けたんだっけ。

誰かに出逢って人生が変わったり、

何かを知って人生が動いたり、

ステキですね!『動く』って、ステキですね!

『変わる』ってステキですね!

『変わらない』っていうステキさも諦めたくありませんけど!

ameblo.jp

 

サッカーの本質を追求する旅はつづく…