僕のサッカー人生のスタートは小学校4年生(10歳)でした。
21年前、当時Jリーグが発足した年だった。
ラモスやカズに憧れてサッカーやりたいと言って始めたというより
なんかよくわからないけどサッカーが急にやりたくなって、当たり前のように始めた。
サッカーをやることはもう僕の人生で前もって設計されていた。
なんかそんな感じなんです。
21年間、本当に多くの人達とサッカーをしてきました。
残念ながら海外のトップクラスと一緒にプレーする機会には今のところ恵まれてはいませんが、学生時代には風間八宏さん(現川崎フロンターレ監督)の元でサッカーを学んだし、JFLで少しプレーする機会もありJリーグのクラブと試合をする機会もあった。
その後、サッカーの育成年代の指導に関わりサッカーの本質をより考える機会も多分にあった。
その後は中南米一人旅をしながら現地のローカルな草サッカーに参加したり、帰国後も在日の日系人のコミュニティでプレーしたり、今は外国人リーグでプレーする機会にも恵まれている。そこには強豪国の元プロ選手がいたりJリーガーを目指す若い選手がいたり面白い環境です。
本当に色んな国のサッカー文化に触れる機会に恵まれて、沢山の巧い選手達とプレーして”サッカーが巧い”ってどういうこと?
っていう問いに対する答えが自分なりに出せるようになった。
サッカーが巧い人はゲームの特性を理解する
”サッカーが巧い人”って
テクニックがあるだけの人は該当しません。
ドリブルが巧い人… その辺にいくらでもいそう。
リフティングが巧い人… 違いますね。
足が速い人… いいえ。
答えは
”サッカーの試合でチームに貢献できる人”
これです。
足が遅くても
身体が細くても
ドリブルが下手でも
効果的なパスが出せて
効果的な守備は出来る
良いポジションがとれて
良いタイミングで走れて
良いタイミングでパスが出せる
巧い選手は
”サッカーというゲームを理解する”
もっというと
”常に自分がなにをすれば良いか判断し実行する”
テクニックがなくても
スピードやパワーがなくても
自分の持つ武器を最大限発揮する能力があれば
試合で貢献できるということ
中田英寿が言っていました。
日本人は自分の能力を100%発揮する術を知らない
ネイマールは言いました。(先日のブラジル対日本戦後)
「日本代表は必死さが足りなかった。僕らブラジルでも泥臭く攻め続けるのに格好を気にしているように見えた」
格好を気にしているんではなく、能力を100%出す術を知らないだけなんじゃないかと思うんです。
ちょっと最後は脱線しちゃいましたね。
サッカーの本質を追究する旅はこれからも続きます。