大人になってから学ぶサッカーの本質とは

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日常にJリーグがあるということ

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突然ですが、皆様はJリーグを現地で観戦した経験はお持ちでしょうか?


皆様の身近に、日常に、Jリーグは存在しますか?

 

今回は筆者が経験した

・Jリーグの有る日常

・Jリーグの無い日常

 

についてお話をさせていただこうと思います。

 

Jリーグと出会い、共に育つ

 

私が初めてサッカーを生で見たのは、1999年です。
当時4歳だった私には、僅かな記憶しか残っていません。

その試合は柏レイソルが、初めてタイトルを獲得した世紀の一戦だったことは後から知りました。
ぼんやり覚えているスタンドからの風景、そして心に焼き付くほどの「熱量」。

この時に感じた熱量だけは、はるか時を経た今でも、心を焦がし続けています。


まさにエモい経験をした私は、プロサッカー選手を目指し、プレイヤーとして歩むことになります。


柏で育った私の生活には、いつもJリーグがありました。

電車で10分も行けばサッカー専用スタジアムである日立台があり、ホーム戦の度に何千人も集まる。

町中を歩けば黄色いユニフォームをそこかしこで見かける。それが日常でした。
プレイヤーとして生活を続ける私にとってもレイソルは生きる糧であり、またそれが当たり前でした。
スタジアムへ行けば熱気と迫力で鳥肌が立ち、胸に熱いものがこみ上げてくるものでした。
熱気と歓声の渦巻く非日常を日常的に味わいながら、私の人生は進んでいきます。

 

Jリーグの無い地域への移住

 

その後紆余曲折を経て、21歳の時に青森へ移住します。

青森県弘前市という都市でJリーグを目指し、東北リーグ1部でプレイヤーとして戦うことになったのです。

遠い北の地での生活に慣れてきたころ、私の中には違和感が芽生え始めました。
なんだか分からない。でも違和感と満たされない感覚だけが悶々とする。なんだこれは。


この正体を必死に模索すると、一つの仮説が浮かんできたのです。


「この地域は、日常にJリーグがない。」

当時、青森にはJリーグを戦うプロチームが存在しませんでした。

JFLには2チームいたのですが、県内での知名度もあまりない。

しかし、たかがチームが存在しないだけでなぜ違和感というものが生まれたのか。

 

この原因は、Jリーグの存在意義と共通するものがあるに違いない。

 

そう考えた私は、改めて柏に住んでいたころのJリーグとの関わりを考えることになります。

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Jリーグがもたらすもの


真っ先に思い付いたのが、スタジアムの圧倒的な熱量。

一万人近くが集まり、全力で声を張り上げ、ボールの行方に一喜一憂する。

そんな情熱が共有される空間は、どう見ても非日常です。

これだけの人数が集まること自体、そもそもめったにない事態なのに、そこに熱気が加速していく空間。
スタジアム中に充満する熱量を体感できないということは、とても勿体ないでのは、と。

柏に住んでいた頃の私は、何度も味わうことが出来ていた。これはなんて幸運だったのだろう。

しかし、その一方で当然のことながら、柏市民全員がスタジアムを訪れるわけではありません。

野球のが大好き!という方々もいれば、スポーツそのものに大して興味がない、という方々も大勢いたわけです。

つまり現地の熱狂だけが全てではない。これだけでは答えにならない。

ファン層ではない方々。彼らにとってのJリーグとは、柏レイソルとは何だったのか。


それはサッカーの代名詞という「共通言語」でした。
チームの存在も知っているし、優勝すれば自然と誰もが話題に上げる。

好き嫌いを超越したもの、いわば象徴として、柏という地域に根付いていたのです。

なかば概念に近く、だがみんなの中に確かにあるもの。

それこそが、Jリーグであり、柏レイソルだったのです。


我々は、柏レイソルという媒体を介することで、Jリーグを自分の体験として、存分に満喫してきていたことを自覚しました。
まるでレンズを通すことで鮮明に映る遠い景色のように。

 

弘前には、それがありませんでした。

Jリーグというものは認知されど、それはあくまで他人事に過ぎず、日常にはなかったのです。
そもそも弘前で開催される機会がなければ、体感することもできないのは当然のことでもあります。
彼らに有るのは知識としてのJリーグ。
肩入れできる我が町のクラブ、媒体がない以上、リアルな体験として感じる機会は得られない。


私にとっては、ある種のカルチャーショックでした。


そしてその段階に至って、初めて身近にJリーグがあったことの有難みを感じることとなります。
当時感じていた熱気はかけがえのない非日常であり、
いち少年の人生を揺さぶり、変えてしまう力があったのです。

だからこそ、改めて
「弘前にJリーグを」
というモチベーションに命を燃やす生活を決心しました。
あの時に体感した感動を、この弘前で巻き起こしたい。それは何物にも代え難い勇気となりました。

 

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「Jを目指す」という熱量

 

この弘前というはるか北国は、私にもう一つの気付きを与えてくれました。

地域リーグを現地で観戦されたことのある方は、決して多くないと思います。
私が所属していたのは、当時の東北リーグでは最多の動員を誇ったチームでしたが、それでも集まる人数は平均して600人ほど。
異常な熱気、と呼ぶのにはスケールが小さい、そんなステージでした。

けれども、声を大にして言いたい。

ここにも、確かにサッカーに対する熱量はあったのです。


正直なことを言えば、私は地域リーグというものをよく知りませんでした。
きっと弘前に住む人達にとってのJリーグのように、知識としてしか存在しない。
その未知な世界は、私に素敵なことを教えてくれました。

それは、
「Jリーグを目指すものの熱気」
という全く知らない、新たな熱量でした。

ファンの皆様と会話するとき、彼らの顔は一様にキラキラと輝いていました。
経験したことのないJリーグという夢の舞台。そこを目指す壮大な物語。

今思うに、キラキラの正体は、まだ見ぬ未来へのまぶしい憧れだったのではないかと。
ユートピアとも言える未知の世界への渇望。人を掻き立て、突き動かす原動力。
確かな情熱にひたむきに突っ走る人間は、やはり美しいものです。

そういった方々と接するたびに、
「Jリーグは、みんなの憧れに応えられる素敵な舞台だ。だからこそ、この地域にJリーグを生み出したい。」
と一人静かに震えていたことを、今でも鮮明に思い出します。

 

日常にJリーグがあるということ

 

2018年をもって、私は選手を引退しました。
これからはいちファンとして、サッカーと関わっていくことになります。
そんな今だからこそ、断言できることがあります。

Jリーグは、人を幸せにする。人生を揺さぶる熱量が確かにそこにある。
Jリーグが日常にあるということ。それは非日常を日常的に味わえる貴重な経験であり、そこには人生を揺さぶられるような価値がある。
次にスタジアムへ足を運ぶ時、そんな幸せを少しだけ改めて噛みしめてみるのも、悪くないかもしれません。

 

そして、その舞台を目指す地域リーグにも、少し形と量は違うかもしれないけれども。
やっぱりそこにもサッカーを愛する人たちの魅力と情熱があふれている。
それは、日本サッカー界が誇るべき素敵なものです。

これからJリーグを目指すチームに関わる全ての皆様。
そのまま突き進んでください。皆さんが夢見る舞台は、どんな渇望にも応えてくれる、素敵なステージだと私は確信しています。

 

そして今Jリーグを戦うチームの皆様、応援するファンの皆様。
Jリーグはかけがえのない貴重な、素敵なリーグです。
今の熱量そのままに突っ走り、日本サッカー界を牽引していただければと思います。

 

ライター

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サッカーの本質を追求する旅はつづく…

 

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