サッカーの育成年代に携わってからというもの、サッカー以前に教育のあり方を変えないとヤバイぞ!という問題意識を持った。あれから約15年の月日が流れた。
サッカーを上手くするために…とか
プロサッカー選手を育てるために…とか
それ以前にやらなきゃいけないことはたくさんあるんです。
教える前にちゃんと好奇心と主体性を育んでますか?と言いたくなる育成年代のチームが信じられないほど多い。
少年サッカー大会に行けば、指導者たちから指示という名の罵声を浴びせ続けられる子どもたちをたくさん目にするわけです。
子どもたちよりも大人が目先の勝利に躍起になる。
結果的に子どもたちは「やりたい」という気持ちよりも、「怒られたくないからやる」という受け身マインドになっていくわけです。
日本社会の縮図じゃないか。
社会に出れば指示待ち人間を大量に目にする。
あなたの好奇心や主体性は何処へ?
そんな人間を育てるためにサッカーはありません。
こんな現状をどうにかしないといけないということで、こうしてブログで発信し続けているわけですが、先日、元陸上選手の為末大さんのツイートが目に止まりました。
私は為末さんの教育論に猛烈に共感したのです。
とりわけ秀逸だと思ったツイートをまとめました。
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為末大さんの教育論
親のこの興奮が止まらなくなってしまうことがよくある。次第に周りが見えなくなるぐらいはまり込み、子供の練習量が増え、大人顔負けで勝負に賭けるように。大体子供は心身ともにすり減って走れなくなっているのがパターンだった。子供心ながらに、子供より親の方が勝ちたそうだな、と思っていた。
— Dai Tamesue 爲末大 (@daijapan) 2019年1月20日
子供の成功には親の影響は大きいが、一方で結局本人次第ということでもある。本人が勝ちたくないものを勝たせることはできない。どんなに才能があっても本人が最後の最後まで行きたくなければ行けない。もったいないとおもうかもしれないが、結局なるようにしかならないのだろうなと思う
— Dai Tamesue 爲末大 (@daijapan) 2019年1月20日
私なりの結論は子供が才能を持っていると思った時点で一番いい親の態度は、自分の人生に集中することだ。目標を持てと言っている親自身に目標がないこととを、子供はすぐ察知する。負けるなと言っている親が、ちゃんと勝負しているかを子供はちゃんと観察している
— Dai Tamesue 爲末大 (@daijapan) 2019年1月20日
子供はまだ知らない。親は知っている。だから導いてあげないとという発想が正しい時もあれば、一方で導きすぎて子供が主体を失うこともある。自分の人生からの学びを最大限に生かした教育方針は、無駄の中にあった学びを排除してしまいかねないという矛盾を孕む。
— Dai Tamesue 爲末大 (@daijapan) 2019年1月21日
社会に価値を提供し、社会に必要とされる存在になって欲しい。という社会における立ち位置を確立する方向と、人生において幸せを感じやすく育って欲しいという方向があり、教育において前者の方が求められることが多い。食っていくための教育と、意味を感じるための教育は違うのだろうと思う。
— Dai Tamesue 爲末大 (@daijapan) 2019年1月22日
価値がある人間になりたいと思いながら、一方で価値があろうがなかろうが自分は素晴らしいと思いたい。優しいから素晴らしいのであれば優しくなければ素晴らしくないという恐れも抱く。根本的な自己肯定感には理由がない。自分がどうなろうとも自分は自分でいいと思えるか。
— Dai Tamesue 爲末大 (@daijapan) 2019年1月22日
指導者は枠を設けその枠の中で選手は自由に選択する。もちろん間には交渉可能な範囲がある。一方で全てが交渉可能であればその指導者の信念が疑わしくなる。一般的には自由を与えたほうがいいと言われるが、人間の創造性は一定の制限があった方が働くので、この加減がちょうどよくなければならない。
— Dai Tamesue 爲末大 (@daijapan) 2019年1月27日
繰り返しになるが指導者も一つの手段である。あくまで主体は選手にあり、選手が指導者を選択する側なのだということを忘れてはならない。指導者の力も限定的でそこに期待をしすぎない。問題を解決するのは自分であり、人に委ねた瞬間にそれはあなたの競技人生ではなくなる。
— Dai Tamesue 爲末大 (@daijapan) 2019年1月27日
教育に携わっている人間であれば、少なからず共感や学びがあったのではないでしょうか。
為末さんの言葉は教育の本質が詰まっていると思いました。
最後の「あくまで主体は選手にあり、選手が指導者を選択する側なのだということを忘れてはならない」という言葉。
指導者はこれを噛みしめなければならない、指導者が選ぶ時代は終わり、指導者が選ばれる時代になる。それと同時に選手(子ども)も指導者を見極める"目"を養う必要がある。
本当に自分にとって良い指導者は誰なのか、自分で判断することはとても大切なことだ。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…
心のブレーキを外す。 「限界の正体」を知り、「思い込みの檻」から抜け出す /三笠書房/為末大 | ||||
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