ロシアW杯でブラジル代表を苦しめ、決勝トーナメントでも素晴らしいプレーで大会を盛り上げたスイス代表。
今回はそのスイスでプレーする飯野 多希留(いいのたける)選手を紹介したい。
異国の地で挑戦する選手からは、いつも多くの刺激を与えてもらえる。
飯野選手の熱い想い、行動力はエネルギーを与えてくれるし、挑戦を後押ししてくれる。
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プロフィール
①中学1年から大学2年まで浦安SC(現ブリオベッカ浦安)所属。
※14歳の時に天皇杯千葉県予選に出場。
そこから浦安SCジュニアユース、ユース、社会人チームに所属。大学は、中央大学ドイツ語文学文化専攻に進学。
②SG Eintracht Mendig/Bell (ドイツ6部)3年所属2年大学休学。
③FC Bassersdorf (スイス5部)所属 (大学卒業後)
欧州サッカーへの情熱
ヨーロッパサッカーに興味を持ち始めたのは、7歳の時。
日本で、真夜中に放送していた欧州のサッカーリーグをライブ中継で、欠かさず観てました。
また、活字が苦手で本を読まない僕も、欧州サッカーの情報誌だけは、定期的に読んで選手の移籍情報や新しく出てきた選手などはいつもチェックしてました。
そんな僕が初めて海外のチームとのコンタクトを持ったのは、小学校6年生の時にナイキが主催していたセレクションに合格し、マンチェスターユナイテッドの監督であるファーガソン監督の練習を受けた時でした。
いつも釘付けになって、テレビで観ていた名将にプレーのアドバイスをもらえたことは、今でも覚えてます。
それから5年が経ち、僕は千葉県浦安市で活動している浦安SC(現ブリオベッカ浦安)のユースチームに所属していました。
その時、ドイツの1860ミュンヘンのユース監督が、僕らのチームへ来てトレーニングをやってくれました。
この時に、今まで受けて来なかったようなトレーニング、そして的確なコメントなどを聞いて、ドイツサッカーの発展を感じました。
そして、何より当時忘れかけていた欧州サッカーへの情熱が蘇って来ました。
この時、ドイツでサッカーすることを決意しました。
1年後、浦安SCのトップチームに所属しながら中央大学のドイツ語専攻に進み、一人でドイツ生活ができるよう準備を進めました。
ドイツで経験したサッカー選手とインターン
大学2年の春休みに、ドイツで1ヶ月のトライアウトを受けました。
当時、日本人とドイツ人の代理人がついていて、ドイツ・ケルン近郊の4部のチーム、5部のチーム、6部のチームで練習参加をしました。
この時にチームを決める上で、レベルの高いカテゴリーのチームに入ることよりも、コンスタントに試合出場できることを大事にしていました。
その上で、僕は当時FC Spichというドイツ6部のチームと契約を結ぶことに決めました。
そして、日本に一時帰国して、次のシーズンが始まる夏までは、中央大学のサッカー部でトレーニングをさせてもらいながら、大学に通ってました。
その時、緊急事態が。
契約を結ぼうとしていたチームが、後期で調子を落とし、降格して、また新しくチームを探すことに。
その年の夏に、大学を休学してドイツへ渡り再びチーム探しをして、ドイツ6部のSG Eintracht Mendig/Bellというチームと契約を結びました。
僅かながらの給料でしたが、選手としてお金ももらえて、コーチのアルバイトなどの仕事も紹介してもらって、小さな町クラブながら、セミプロとして活動をしていました。
しかし、ここで「なぜ、こんな小さなクラブなのに監督、選手がお金をもらえたり、ユニフォームにはスポンサーがついていたり、経営が成り立つのだろう」と不思議に思いました。
そこから、自分のチームのクラブ経営に興味を持ち始め、クラブの役員に経営の話を聞き、さらに興味は広がっていき、今度はブンデスリーガのチームの裏側を知りたいと思うようになり、ドイツのコブレンツ大学のスポーツマネジメント科の教授にお願いして、聴講生として授業を受けさせてもらうことができました。
勉強しながら、ドイツブンデスリーガに所属しているボルシアメルフェングラッドバッハの女子チームのアシスタントマネージャーとして、5ヶ月間インターンをさせてもらいました。
選手としても、そして一人の人間としても成長をしたかった僕にとって、このインターンで経験したことは、お金では買えないぐらいの価値がありました。
特に印象的だったのは、オランダまで行ってU-15の選手達のスカウティングをし、実際にコーチ達と選手選考に携わったことでした。
今まで選考される側だったので、プロの人達がどのような視点で見ているのかということを知れて、新鮮でしたし、自分が選考される側の時に活かそうと思いました。
スイスへの挑戦
2年間のドイツ滞在を終えて、日本に帰国し復学しましたが、ドイツのチームには登録したままにしておいて、大学在籍中、長期休みの時にはチームから飛行機代を出してもらうなどしてもらい、ドイツに渡航し、チームに合流しました。
しかし、自分が大学4年の時期になると卒業後の進路に悩みました。
ドイツに戻ってサッカーを続けるべきか、日本で就職して、可能な範囲でサッカーを続けるか。
そんな風に悩んでいる中、日本でもドイツ人の人達と定期的にフットサルをやってて、たまたま、そこに来てたスイス人と仲良くなり、色々話を聞いてくうちに、スイスに興味を持つようになりました。
スイスの北側はドイツ語圏なので言葉の問題があまりないことや、ドイツと比べると国内リーグでの競争率があまり高くなく、よりプロになれる可能性が高いかもしれないことなど。
そして、何より、スイスでサッカーをやっている日本人が圧倒的に少ないことを聞いて、「僕がスイスを開拓してやる。」という意気込みで、卒業後、ツテも何もないですが、スイスでサッカーを続けることを決めました。
そして、スイスに来るために大学卒業まで日本で毎日のようにアルバイトして、お金を貯めました。
8ヶ月間、チームに所属するどころか、ボールも蹴る時間が作れず、何度もサッカーをやめて、日本での就職をまた考えました。
しかし、自分の身近の現役で活躍するスポーツ選手たちを目の当たりにすると、彼らが輝いて見えるんです。
そんな姿を目の当たりにすると、やっぱりまだ現役でサッカーをやりたいという思いが込み上げてきました。
僕は満を持して今年の3月にスイスに飛び立ちました。
スイスに来てからは、手当たり次第メールや電話で何十チームに連絡を取りました。
時には、チームのGMの会社に直接会いに行きました。
その時は、一階の受付にいるいかにも仕事ができそうな綺麗な女性に入り口で止められました。事情を説明しても断られ、追い返されてしまいます。
粘りに粘って、GMの連絡先だけ教えてもらうことができましたが、結局その後、連絡をもらうことはできませんでした。
どのチームに電話で聞いても、多くの場合は相手にされませんでした。
それでも何チームかと連絡を取ることができ、練習参加をすることができました。
そして、ようやくチューリヒにあるFC Bassersdorfというチームに決まりました。
本当はもっと上のチームでやりたかったのですが、スイス4部からは、お願いしても練習参加さえさせてもらえませんでした。
まずはこのチームで結果を残して、上に這い上がりたいと思っています。
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私はスイスで戦う飯野選手の挑戦を応援します。
世間一般の目や、常識に捉われず、自分の生きる道を見い出そうとする人を応援したいし、自分自身もそうありたいと思う。
周囲の声に惑わされず、自分の心の声に忠実であれる人はいつでも輝いていると感じます。
多くの人が飯野選手に続いて欲しいと思います。
後編は、「ドイツで学んだ本場のサッカー文化」をお届けします。
飯野 多希留(いいのたける)
サッカーの本質を追求する旅はつづく…