私はディエゴ・シメオネの言葉が好きだ。
知的で、常に情熱的で人の心を動かす力がある。
シメオネの言葉に触れる度に活力が漲ってくる気がする。
それはシメオネ自身がサッカー監督という役を通じて本気で人生を“生きている”からなのだろう。
これまでに何度もシメオネの著書を紹介してきたけれど、読む度に新たな学び、新たな気付きを得ることができる。
今回は、よりサッカーの本質に迫る言葉をピックアップ。
良いプレーをする者ではなく、自信を持ってやっている者が勝つ
チームに自信を持ってプレーしている者が多ければ、良いプレーをした者が多いチームよりも勝つ可能性が高い。
私の決まり文句のひとつに、努力には交渉の余地がない。というのがある。私だってチームが毎週スペクタクルな試合ができればいいな、とは思う。しかし、それは不可能。ただ、全精力を尽くすことは要求できる。もちろん、良いプレーをするだけでなく、そこに心と力を注ぎ込めば、できあがったものは比べ物にならないほど素晴らしくなる。
華やかで見栄えの良いプレーのみが賞賛される風潮がある。
圧倒的に上手いチームが下手なチームに負けてしまう時、私も残念に思うことがあるけれど、サッカーは上手いだけでは勝利できないことも知っている。
なによりも重要なのは勝利することに対する気持ちの強さであり、どれだけ上手くても気持ちで圧倒されたら勝利はできない。
私はサッカーをプレーする選手を支持し、ボールをプレーする選手を支持しない
両者は異なっている。ボールをプレーするのは友だち同士のミニゲームで遊ぶ時、アマチュアはボールで遊ぶがサッカーはしない。我々がよく知っているように、プレーが美しくドリブルが上手い選手は百万人くらいいるが、その中でサッカーをしていた者は少なかったろう。そこがアマチュアとプロフェッショナルの違いだ。
ファンは美しいものを見たがる。ドリブルを見るのは目の保養になる。しかし、より賢いファンは美しさにとらわれ過ぎず、勝利を好む。もっとも良いプレーをすれば勝つ可能性が高くなるのは明らかなのだが。
どれだけの指導者がサッカーの本質にまで思考を巡らせているのだろうか。
たまに近所のサッカークラブの子どもたちの練習風景を眺めていると感じることがある。
持っている技術を、テクニックを勝利のために上手く使うことができなければ意味がない。ドリブルの巧さをどのように勝利のために使うことができるのか、それを伝えるのは時には指導者の役目だ。
シメオネが語るサッカーの本質から、我々日本人が学ぶことは多い。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…
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