
「もちろん選手権で勝つことや、そこに導く力量が素晴らしいことは否定しない。
だがそれと同じように、指導した選手たちが高校を卒業した後どう成長していったか、について、もっと語られていくべきだと思う。」
(吉永一明『異色の指導者』より)
- 作者:吉永 一明
- 出版社:竹書房
- 発売日: 2021年11月18日頃
この言葉に、ドキッとさせられた方もいるのではないでしょうか。
日本の育成年代において、「勝利」や「実績」はしばしば最もわかりやすい評価軸になります。
選手権に出場した、全国大会で勝った、○○に内定が決まった……そんな情報がSNSに並び、保護者や子どもたちが「強いチーム」や「名のある指導者」を追いかける流れが生まれがちです。
けれども、吉永さんが問いかけているのは、「その後」の話なのです。
サッカーの成長も大切。でも、それだけじゃない。
私たちはつい、プレーの上手さや結果のわかりやすさに目を奪われます。
しかし、育成年代のサッカーは本来、「人としてどう育つか」がもっと大切にされるべきではないでしょうか。
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プレッシャーに打ち勝つ力
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仲間と衝突しても関係を築き直す力
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自分の弱さと向き合う勇気
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誰かを応援できる優しさ
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サッカーを離れても、自分らしく人生を歩む力
こういった「見えにくい成長」にこそ、本当の意味での指導者の価値や、サッカーの意義が宿っていると感じます。
サッカーじゃなくてもいい。「その子の思いが実現する」ことの尊さ
たとえば、ある選手がサッカーを途中で辞めて、別の道に進んだとします。
その子が「自分で決めて進路を選べた」なら、もうそれだけで大きな成長です。
あるいは、小さな試合でたった一度のゴールを決めた。
周囲から見れば些細な出来事でも、本人にとっては人生を肯定する体験かもしれません。
そんな「その子にとって意味のある出来事」に目を向け、価値づけできる指導者・大人が増えていくこと。
それが、今のサッカー育成に求められている「本質」だと思うのです。
結果を出すチームが悪いわけじゃない
誤解してはいけないのは、吉永さんも「勝つこと」や「名将の力」を否定しているわけではない、ということです。
むしろ、「勝利」と「人としての成長」を両立できることこそ理想だと捉えている。
だからこそ、目立つ結果だけでなく、その背景でどれだけの子どもたちが「心の成長」を遂げているかに光を当てたいと語っているのです。
本当の育成とは、「その子の物語」に耳を傾けること
どれだけ有名な大会で活躍したかよりも、
どんな悩みを抱えて、どんな風に乗り越えたか。
どんな喜びがあって、何を支えにして進んだのか。
その“物語”にこそ、育成年代サッカーの価値があると、私は思います。
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サッカーを通じて泣いたこと
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笑ったこと
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挫けそうになったけれど、誰かの言葉で立ち上がれたこと
そういう瞬間が、一人ひとりの人生を豊かにしていく。
吉永さんの言葉は、その当たり前でいて見落とされがちな視点を、改めて思い出させてくれます。
わたしたちは「何を見て」育てているのか?
指導者も、保護者も、地域の大人も。
「どの大学に行ったか」「どのカテゴリーに進んだか」だけでなく、
「この子は、どんな風に人として成長できたのか?」
という問いを、いつも心に持ち続けられると良いかもしれない。
子どもたちは、勝敗よりも先に、“生き方”を学んでいます。
そのことに気づける大人でありたいと、改めて思います。