サッカーに縛りはない
— Yujiro-Yamada@CR7 (@91_yujiro) 2017年5月8日
「自由にプレーできる」それがサッカーの醍醐味だと思う
そして「自分のプレーを信じてできる人」それがサッカーが上手い人、魅力的な人だと思う
そうレアル・マドリードのイスコのように
1992年4月21日生まれの25歳。
スペインの若き至宝、レアル・マドリードで輝くイスコ。
しなやかな身のこなし、魔法のようなボールタッチで相手を翻弄し、観衆を虜にする。
圧倒的なサッカーセンス、誰もが羨む才能の持ち主で、これから嫌でも注目せざるを得ない選手だ。
現在行われているロシアW杯でもその才能を存分に発揮している。
【ハーフスペースを数的同数でも簡単に崩すイニエスタとイスコ】
— サッカーアナライザー(図解分析ブログ) (@_socceranalyzer) 2018年6月22日
ハーフスペースレーンに2人が並んでしまう状態になったので、イスコは中央へバックステップで相手を引きつける。空いたスペースにイニエスタが侵入していき、イスコの華麗すぎるスルーパスで決定機。 pic.twitter.com/aqBnJtEOKH
スペインらしい素晴らしい崩しでイスコ!!!! スペイン同点!!!! pic.twitter.com/6kcnxcWMJz
— TRUST (@RMD_BBC1) 2018年6月25日
【味方がいた所は空きやすい】
— ワールドカップ戦術講座#そーた(コーチ) (@W78030041) 2018年6月26日
①イニエスタがブロックの外に動く。
→相手が付いていく。
=イニエスタがいた所が空く。
②イニエスタがいた所に、イスコが入る。 pic.twitter.com/LPVCmaTz9z
イスコとシルバのコンビネーションに惚れた pic.twitter.com/6MW2CAbCbE
— あらるこん2️⃣2️⃣🇪🇸 (@alarcon_22RMA) 2018年6月26日
そんなサッカーの魅力を存分にピッチで表現するイスコのプレーを紐解いていきたい。
猫のようなしなやかさ
ニュッと静から動へ転じる瞬間のイスコを見ていると、まるで猫のようだ。
柔らかいボールタッチができる理由は、しなやかな身体の運び方、ボールとの絶妙な関係性に他ならない。ボールとの対話の圧倒的な量がクオリティを生み出す。
魔法のようなボールタッチ
イスコの魔法のようなプレーは見る者を魅了する。
プレーを想像し、それを実現するために遊びの中で磨き上げる。
イスコのようなファンタジスタは誰かにサッカーを教わってなれるものではない。
頭の中でイメージし、それをひたすら真剣な遊びの中でトライし続けて自分のものになるのだ。サッカーは教わってはいけない。自分でイメージすること。自分で考え続けること。そしてプレーすることだ。
イスコはちょっとの時間でも違いを作るから「こんなに上手いのに何で先発で使われないんだろ?」と思わせるけど、先発で使われると「上手いけど、やって欲しいことと違う」って時間が長いというジレンマを抱える気がする。。
— yasu (@yasu10_01) 2017年4月15日
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イスコの果てしない可能性
これだけの才能がありながら、まだまだノビシロがあるのがイスコだ。
圧倒的な技術、スキルを最高のタイミングで効果的に使えているかといえばそうではない。しかし、そこはまだこれから洗練されていく部分である。まだ完成された選手ではないということだ。
抜群のタイミングと感覚
イスコのプレーはとても感覚的で捕らえどころがない。ディフェンダーは相手にしたくないだろう。独特のタイミングでボールを運び、ディフェンダーの隙間を縫っていく。
身体を上手く使いながらボールを動かす
相手に囲まれても、ボールを失わない技術。相手1人に身体を預けながら2人目、3人目にボールを晒して、触られないようにコントロールすることができる。殺気に満ちた恐ろしいほどのプレッシャーの中でこれができるというのが圧倒的な才能と言われる所以だろう。圧倒的な才能と呼ばれるまでには当然、圧倒的な真剣勝負の量、試行錯誤の量があるのだ。
イスコ上手いし流れ変えちゃうからなw
— Ryotα@OORer (@R_Madrid_OORer) 2016年12月18日
難しい事はしてないのに間合いとタイミングが完璧だからボール取れないんだよね〜w
ボールとの一体感を得るために
イスコのようなボールと身体の一体感がある選手は日本には少ない。
きっと真剣な遊びの量が足りていないのだ。
日本は遊び場が減っている。サッカー禁止の公園をよく見かけるようになった。
近所迷惑、夜遅くまで外で遊ぶことはダメなんだと、大人が縛りすぎている。
もっと大人が寛容にならねばならない。真剣な遊びこそがイノベーションを生み出すのだ。
イスコのプレーを見ているとそのように感じる。
もっと遊ばせなければならない。教えることよりも、自由に表現する場を作ることが必要なのだ。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…