サッカーを子どもたちに伝えるために一番大切なことは何でしょうか?
私は、技術的なことを教えることよりも大切なことがあると思っています。
それは感受性を育むということです。
ドリブルが上手くなるよりも前に、リフティングが上手くなるよりも前に、シュートが上手くなるよりも前に、ボールを追いかけることの楽しさを、ボールを蹴ることの気持ち良さを感じさせてあげなければならないと思います。
こうしなさい!ああしなさい!では、面白くなくなってしまうのです。
教育現場に足を運ぶと、子どもを制御することが役目であると勘違いしている大人が実に多いと感じます。
あれはしてはダメ、これはしてはダメ…が多すぎる。
もちろんやってはいけないことを伝えることは大切なことだけれど、あまりにも過剰だと感じます。
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制御されて育った大人は、自己表現の手段を持たない。
誰かに制御されるのが当たり前の環境で生きてきたツケは大きくつく。
自己表現の手段がないということは、生きる力がないということだと思います。
結果的にこの国は異常な数の自殺者、鬱病患者を生み出しています。
制御されてしまうということは、つまり感受性を失ってしまうということです。
感受性が貧しいとサッカーはできない
サッカーは1人ではプレーできません。
一緒にプレーする仲間がいて、対戦相手がいなければサッカーはできません。
仲間と協調すること、相手をリスペクトすること、いずれも感受性が貧しいと上手くやれません。
人の心を大切にする感性は生きることの基本であり、もちろんサッカーをする上でも大切なことなのです。
サッカーのコーチは、当然サッカーを教えることが仕事だけれども、子どもたちにとって一番大切なのは感受性を育むことなのです。
これをしっかり認識しているコーチの元からは、やはり素晴らしい選手がたくさん育っているのです。
古武術を伝える甲野 善紀氏の著書にこんなことが書かれていました。
基本というのは、たとえば基本動作とか、基本的知識という言い方からすれば、ある具体的な形態やまとまりを持ったものでもあるわけですが、それらは何のためにあるかというと、僕は、武術であっても歌の世界においても、自分がめざす方向性を指し示してくれる〝感受性〟を養うためにあるのだと思うんですね。基本動作、基本的技術を身につけたとしても、この〝感受性〟が育っていかなかったり、かえって鈍ってしまうようでは、それは全く〝基本〟であるとはいえないということを改めて感じました。
感受性を育むために、表現することの楽しさを伝えること
私はサッカーは教えるものではないと思っています。
小さい子どもたちに対してはよりそう思うのです。
なぜなら、サッカーはクリエイティブなものだからです。
メッシもロナウドもモドリッチも誰かに教わったというよりも、自分自身で表現を生み出し、磨いてきたはずなのです。
彼らが表現するようなプレーを誰が教えることができるのだろうか。
私たちが子どもたちにできることは、サッカーの楽しさを見せること、思わずプレーしたくなるように仕向けることです。
サッカーは人生の縮図。
楽しさも、苦しさも、喜びも、悲しみも与えてくれる。
そして何より、生きている実感を与えてくれるものなのです。
サッカーは全身で表現するもの
駆け引きの楽しさを、ボールと戯れる楽しさを子どもたちに伝えたい。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…
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