大人になってから学ぶサッカーの本質とは

サッカーの本質を追求するWebマガジン 考えるよりも感じることを大切に 美しさとは何かを感じる心を大切に 大切なものを失わない為に書き綴る                    ※当ブログはプロモーションが含まれています

誰とでも、サッカーを楽しめる子は、本当に“上手い子”

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試合で活躍した。ドリブルで何人抜いた。選抜に入った。県大会に行った。

もちろん、それは素晴らしいことだと思う。

努力して、技術を磨いて、結果を出すのは尊いことだ。

でも、そんな話を聞くたびに、

ふと胸に浮かんでくる、ある光景がある。

練習のあと、公園で子どもたちが遊んでいた。

クラブの子も、そうじゃない子も、一緒になってボールを蹴っていた。

その中に、ひときわ上手い子がいた。

きっと選抜に入っているような子だろう。

ボールタッチは洗練されていて、視野も広い。

でも、その子がすごかったのは、技術じゃなかった。

一番走れない子にパスを出した。

キック力のない子が外したときも、「ナイストライ!」と笑っていた。

少し浮いたボールを、トラップしやすいように“そっと落とした”。

ああ、この子は「本当にうまい」んだなって思った。

“うまさ”って、何だろう。

どこからが“うまくて”、どこからが“まだまだ”なんだろう。

一対一で勝てること?

得点王になること?

ハードワークできること?

それもある。間違いじゃない。

でも、サッカーって、チームスポーツなんだ。

自分だけが輝くのではなく、

周りと関わりながら、全体で形をつくる。

だからこそ、本当にうまい子は、

“下手な子”を切り捨てない。

“下手な子”を責めない。

むしろ、その子が楽しくプレーできるように動く。

それができるのは、技術以上のものを持っている証だと思う。

だけど、現実の育成年代では、

“上手い子がエライ”という空気が蔓延している。

うまくない子は、疎外される。

怒られる。無視される。

チャンスすら与えられないまま、

「自分は下手だから」と言ってサッカーを去っていく。

大人は言う。

「競争社会だから」

「選ばれる側になれ」

「レベルの高い環境に身を置け」

でも、それは“競技”としての話。

「育成」や「人間形成」とは別の話だ。

下手でもいい。

運動が苦手でも、空振りしても、声が出せなくても。

それでも「サッカーって楽しい」と思える時間が、その子の人生を救うことがある。

その居場所を守れるのは、

周りの「うまい子たち」だと思う。

“技術”は練習で育つ。

でも“思いやり”や“まなざし”は、環境で育つ。

チームが、「どんな子も楽しんでいい場所」であるかどうか。

指導者が、「誰も見捨てない目」を持っているかどうか。

親が、「結果だけでなく、関わり方を褒めているか」。

そして──

うまい子たちが、「下手な子にやさしい」存在であってくれること。

それが重なった時、

サッカーは“スポーツ”から“人を育てる場”になる。

最後にもう一度、あの公園の光景を思い出す。

誰かのためにパスを出した、あの子のプレー。

それを受けて、少し照れながらシュートした子の笑顔。

勝敗じゃない。

技術じゃない。

そこにあったのは、関係性の中で育ったうまさだった。

きっと、

本当にうまい子って、

“誰とでもサッカーを楽しめる子”なんだ。

それができるって、すごく、かっこいい。

 

子どもに関わる大人が、指導者が、そのようにサッカーを扱えるようになると、日本のサッカーはもっともっとよくなる。

keikun028.hatenadiary.jp