スペインの名門ビジャレアルの育成に携わる佐伯夕利子さんの記事を紹介させてください。
「負けたら怒られる」「罰則30周」など、ネガティブな外からの動機づけを避けるために頑張るのはおかしなことで、「より良いアスリートになりたい」というポジティブで自発的な動機づけこそが人を育てるのです。
スポーツが辛く苦しい思い出になっているから、高校で選手権に出るようなレベルの子たちでも「大学でまでサッカーをしたくない」などと言うのです。これも変えていかないといけませんね。
欧米のスポーツ文化では「頑張れ、耐えろ」ではなく「楽しめ」と教わります。こういう考えが浸透すれば、日本でもスポーツを楽しむ子どもたちが増え、生涯スポーツの普及につながっていくでしょう。
佐伯さんの著書↓
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教えないスキル 佐伯 夕利子 小学館 2021年02月01日頃 売り上げランキング :
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高校サッカーで完全燃焼してしまい、「大学でまでサッカーをしたくない」と考える高校生は少なくないです。僕らが高校生の頃からそうでした。もう20年前からです。もっと以前からそうなのだと思います。
理不尽で根性論の指導、サッカー以外のあらゆる時間を犠牲にして、苦しい練習に耐えてきた高校サッカー部時代、引退して進路を考える仲間たちに話を聞くと、サッカーを続けるやつはほんの数人。
ハッピーな大学生活を楽しみにするやつ、就職して働くやつ、どんな進路を選ぼうともサッカーをプレーする機会はあるはずなのに、「もうサッカーはいいや」…そう口にする仲間は多かったです。今も同じような感じなのかもしれない。
僕たち日本人には、サッカーは辛く、苦しいもの。楽しさより厳しさが大事。そんな”サッカー”が刷り込まれているんです。
全国大会なんてなくてもいいのではないかと書くと、「それじゃ選手は育たない」「高校生活の集大成を潰すな」などと言われます。
本当にそうでしょうか? 本当に?
全国大会じゃなきゃダメでしょうか? 伝統があるから?
子どもたちがかわいそうでしょうか? 本当に?
数多くの目に見えない犠牲の上に成り立っているという事実を理解しているのでしょうか。理解した上で、本当にそんなことが言えるのでしょうか。
50点差のつくサッカーの試合が生まれる大会は健全なのでしょうか。
この試合で選手は育つのでしょうか?
サッカーが嫌になって辞めてしまう子達がいるのではないでしょうか。
チーム数が少ないから仕方ないんです!ではダメなんですよ。これをおかしいと思うのであれば、どう変えればいいか考えるのが大人の責任なのではないでしょうか。
じゃあ何ができるのか教えてくださいと言われます。
力関係の近いチームと試合ができるレギュレーションに変えられないでしょうか。
チーム数が少ない上に、レベル差があるから無理ですか?
だったら本来大会はできないという事なんじゃないでしょうか。
50点差がつく試合をイメージできますか?
10点差がつく試合を何度も見てきましたが、不毛です。
10点差つけられて負けた試合に出たことがありますが、悔しいとかそんなレベルではないんですよ。どんなに頑張っても全く歯が立たない相手と試合をして意義を見出すのはとても難しい。
50点差?それはもう絶望的な差。ちょっと信じられないし、勝った方も含めてメンタル面が心配です。
楽しくもない、悔しいという感情すら生まれない。もうサッカーやりたくない。そんな感情が生まれないほうが不思議です。
力関係の近い相手と試合する方が成長できるというのは、当たり前の話です。
選手が育たない?高校生活の集大成が潰れる?
その通りです。50点差がつく試合で選手は育たないし、集大成になんてなり得ません。
こんな犠牲が生まれることを大人が肯定していいのでしょうか。
レベル別の大会を用意することは無理なのでしょうか。
全国大会に固執する理由は何でしょうか?
いい選手が生まれない?
そんなことありません。レベルが高いチーム同士の大会にすればいいだけです。トーナメントではなく、リーグ戦の方がむしろレベルは上がるでしょう。
全国大会に固執しているのは大人なんです。伝統を壊したくない、いい選手が生まれない、集大成がなくなるなどと思いこんでいるのは大人。代わりになるよりよいものを用意するのも大人の役目なのではないでしょうか。全国大会をやめなくとも、50点差がつくミスマッチがなくなるようなレギュレーション、調整はできないのでしょうか。
ただでさえ、日本の古い価値観による指導、教育で子どもたちはバーンアウトしているんです。
人生はサッカーだけじゃありません。サッカーばかりやったのに、サッカーを辞めてしまうような文化をどう変えていくのかをサッカーにかかわる大人が考えていかなければならないと思います。