喜多川泰さんの著書「手紙屋」蛍雪篇 私の受験勉強を変えた十通の手紙の一節です。
子どもにサッカーを習わせる親がたくさんいます。どうしてだと思いますか?
将来、日本代表選手にするため? そうは思わないですよね。サッカーをずっと続けていった最終結果としてそうなることはあるかもしれませんが、親が「サッカー」という道具を何に使おうとしているか、その意図はまったく別のところにあります。
たとえば、チームワークの大切さ、努力を積んで選手に選ばれる喜び、仲間と共に勝つ喜び、負ける悔しさ、最後までやり通す忍耐力、人の失敗を責めない優しさ、教えてくれる人に対する感謝の心―こうしたものすべてを身につけてほしいと考えているはずです。
もちろんそれ以上に、丈夫な子に育ってほしいと考えているかもしれません。 もし「心や身体の成長はどうでもいいから、技術だけを鍛えて、将来プロにしてくれ!」という親がいたら、どう思いますか? 迷わず、こう答えるはずです。
「それは無理です。心の成長なくして、その結果を手にすることはできません」
世の中には、サッカー以上に「勉強」を習わせる親がたくさんいます。
「将来、○○大学に合格するため」という目的だけのために塾に通わせる人もいます。
本当は、本人が続けていった最終結果として手に入るかもしれないものでしかないのに……。
あなたが気づいたように、勉強という道具を使って手に入れることができるものは本当にたくさんあります。その多くは、心を育てたり、自分を磨いたりすることができるものです。
でももし、「心の成長はどうでもいいから、テクニックだけを鍛えて、将来○○大学に入れてくれ!」という親がいたら、どう思います? そう、同じことです。
こう答えるしかありませんよね。
「それは無理です。心の成長なくして、その結果を手にすることはできません。万が一、手にしたとしても、いいことなんてありません…
この一節は、なぜ勉強する必要があるのか?という悩みを持つ女子高生に手紙屋さんが、サッカーを例に出して答える場面です。
色々と考えるきっかけになりました。
子どもにどうなってほしいか
サッカーを教えていると、いろんな親御さんと出会います。
本当にいろんな価値観のパパさんママさんがいるわけですが、これを読んであるエピソードを思い出しました。
もう10年以上前の話になりますが、当時小学4年生の教え子の親御さんにこう言われたんです。
「君たちはプロのサッカー指導者だろ?サッカー以外の余計なことは教えなくていいから、とにかく技術を鍛えてプロにしてくれ」
当時、練習で手繋ぎ鬼や、ドロケイなど結構遊び要素の強いコミュニケーションを多く取り入れていました。近隣の少年団は、常に強度の高い練習をしていたので、比較してそのように言われたのだと思うのですが、このパパさんの言葉には考えさせられました。
ほとんどの親御さんは、サッカーを通じて、友達をつくって、社会性を身につけて、人として成長して欲しいと考えていると思います。でも稀に、金を払っている以上はプロを養成する役目があると考える人もいるんですね。そういう看板も立ててなかったので驚いたのですが。
サッカーを通じて、どうなってほしいか
では、サッカーを指導する側として、子どもたちにどうなって欲しいのか考えると。やはりサッカーを通じて、成長してほしいと思うわけです。サッカーをプレーする楽しさや喜び、悔しさや苦しさを経験し、チームとしてプレーする楽しさや難しさを知って、人間として成長してほしいと思うんです。そしてその環境をつくり、コーチングし、サポートすることが大切だと思います。
手紙屋さんが書いているように、心の成長なくして、プロになることはできないと思います。たとえプロになることができても、続かないでしょう。
現役を引退したあとに不幸になる選手の話を聞くと、その選手を指導したコーチは、サッカーを通じて、大切なことを伝えることができなかったのではないかと思うのです。
もちろん家庭教育や学校教育も多分に影響があると思います。
サッカーは教育の道具ではありませんが、サッカーの本質を伝えることができれば、もう少し良い影響が出てくるのではないかと思うのです。
そんなことをこの本を読んで考えました。
親も、指導者も完璧な人間はいません。
でも、本質を見誤ってはいけないと思います。もし見誤ってしまったなら、修正しないといけません。
成長の途中では、失敗がつきまといます。親も指導者も失敗の連続なんです。ここに寛容になれないと、子どもにとってよい環境はいつまでもできないと思います。失敗から何を学び、何を発展させるか、そのサイクルが絶対必要なんです。
私たち大人がもっと寛容な社会をつくれるように、いろいろと考えていかないといけないですね。