先日、とある少年サッカー大会(U12)に足を運んだ時のこと。
試合中、ベンチから怒号が鳴り止まない様子に、またかと、辟易しながら見ていたのですが、ハーフタイムにあるチームのコーチの振る舞いに衝撃を受けた。
子どもたちが思うようなプレーができなかった為にフラストレーションが溜まっているのは側から見ていても一目瞭然だったのですが、そのコーチは大声で子どもたちを罵倒するんです。
「普段の練習で何も考えてないから…」
「家でもそうなんだろう。全部親にやってもらって、何も考えてないから…」
「スマホゲームばっかりやって、俺に言われたこと一つも頭に入ってない…」
「これじゃ勝てないの当たり前、負けたら走りだ。当たり前だけど…」
子どもたちにくどくど話をしている時、話をちゃんと聞いていない子がいたのか、急に一人の子の胸ぐらを掴んでゲンコツをする仕草をしたんです。実際に殴ることはしませんでしたが…
それを見た時に、ああこの人は普段体罰してる人だなと思いました。
今でこそ、体罰が問題になるから公の場ではやらないけど、見えないところでやっている可能性は高い。
体罰で言うことを聞かせることで起こること
子どもたちが思うようにプレーできない理由は、指導者の責任です。そもそもこのコーチの言う、普段の練習で何も考えることができない理由は子どもの責任ではなく、主体的に考えて判断する為のコーチングができていない指導者の責任です。練習で主体的に考えることの重要性をしっかりと伝えていれば普段の生活も変わってくるものです。
そして、体罰をすることで子どもが言うことを聞くという状態は、指導者にとっては危機的な状況だということです。
思考停止して、指示待ちになる
体罰を受けて育ってきた子どもは、「自分で考えなくなる。」叩かれないよう常にその場しのぎになります。そして自分で行動を選んでいる意識が弱い上に、言われたことをやらないと面倒なことになるとわかっているから指示待ちになるのです。
これは私自身、小中高と義務教育を受けてきた中で、なんどもそのような先生に指導され、自分自身も思考停止し、指示待ちになることが多かったからよく分かります。おそらく多くの方が同様の経験をしているのではないかと思います。
サッカーというスポーツは、自分で見て、感じて、考えて、判断して、プレーするものです。日本の教育とは反対のアプローチをする必要があることはサッカーというスポーツの本質を知る人間ならわかることなのです。
しかし、残念なことに日本のサッカーに携わる指導者の多くはサッカーの本質を知らないのです。
少なくとも、暴力や恐怖で人に言うことを聞かせるのはナンセンスであることは理解する必要があると思います。
体罰は仕方ない、という人がたまに居て驚かされます。暴力に訴えて相手に言うことをきかせるという点で「戦争は仕方ない」というのと同じだと思ってます。僕には三人の子供がいますが一度も打ったことありません。だから皆んな素直で良い子に育ってます。暴力より対話。
— 山口周 (@shu_yamaguchi) 2019年12月10日
練習時間が伸びることを奨励する世界から、減らすことを奨励する世界への移行には、発想の転換がいる。同じアウトプットを短時間で行うことがサボりに見える世界と、レベルアップに見える世界。もしコーチとこの発想がずれていれば、選手は相当に苦しむ。
— Dai Tamesue (為末大) (@daijapan) 2019年12月12日
サッカーの本質を追求する旅はつづく…