サッカー選手もアートクリエイターなのである。動的時空間における瞬時の局面で、思考と感性とを即興的に融合させた創造力を行使するインプロヴァイズパフォーミングアーティストといってもよいだろう。クリエイターであればこそ、サッカーでもアートでも、自分の表現のオリジナリティに対し、こだわりとプライドと全責任を持つと言うメンタリティの特性は重要である。
アートやサッカーの本質を理解している人や優れたサッカー選手であればこそ、決して他の選手のプレーやテクニックを安易に真似たり、自分独自の表現を人任せにしたりはしないだろう。それは自分自身に対するこだわりでもあり、厳しさでもあり、プライドでもある。サッカー選手やアーティストに共通する最も重要な資質とは、「個」のオリジナリティを尊重する態度と組織のコンセンサスとを融合させようとするバランスのとれた姿勢ではないだろうか。
サッカーを教えるとは?
子どもにサッカーを教えるとはどういうことなのでしょうか。相手のゴールにボールを入れて、自分のゴールを守ること以上をどのように教えるかというのは、極めてセンスが問われるでしょう。その理由は冒頭に紹介した「新サッカー論」からの引用にある通りなのですが、つまり一つの正解がないからということになります。
要は監督やコーチがサッカー選手として優秀な成績を収めた実績があるとしても、同じようにプレーすることはできない。それ故に難しい。
先日、とあるジュニアサッカークラブのトレーニングを見ていた時のこと。
ミニゲームをしていたのですが、興味深かったのはコートのサイズを大きくしたり小さくしたりして、子どもたちに刺激を入れていました。それだけなく、ゴールも片方はラインゴール(ラインを越えて誰かがボールを止めれたら一点)、片方は通常のミニゴールでハーフタイムでコートを入れ替えていました。このような設計だと自然に子どもたちが戦術を思考するようになるので興味深くみていました。このコーチは子どもたちに具体的なコーチングをすることはなく、ひたすら盛り上げる声をかけていたのも印象的でした。
別のコートでトレーニングしている年齢的には一つ上のカテゴリを見てみると、先程とは打って変わって、コーチがしきりに厳しい声掛けをしつつ、ミニゲームでも何度も止めて意図の確認、時には体の向き、ボールの止め方まで指導していました。1分おきくらいにプレーが止められてしまうので子どもたちも集中が切れているように見えましたが、この2つのカテゴリの対象的なトレーニングを見て感じることは多々ありました。
もちろんどちらが適切かというのは、それぞれのチーム状況がわからない以上、なんとも評価できないわけですが、サッカーの特性、本質を考えると個人的には前者のほうが支持しやすいものだと感じました。
個々のノビシロ、余白を意図的につくるトレーニング設計、仕掛けで子どもたちが思考し、工夫し始めるようなオーガナイズは文頭にご紹介した新サッカー論の引用を踏まえても理に適っているように思います。
サッカー選手やアーティストに共通する最も重要な資質とは、「個」のオリジナリティを尊重する態度と組織のコンセンサスとを融合させようとするバランスのとれた姿勢
本書にあるこの言葉は、サッカーの本質を射抜く表現だと感じます。サッカーは深く、個の追求のみならず、多くを学びながら繋げていかなかれば本質は見えてきません。
サッカーを知るためには、サッカーだけでなく、アートもデザインも組織論も学んでいく姿勢が求められるように思います。いやそれだけではなく、人間が行うスポーツという側面を考慮すれば、人間をより理解するための学びは無数にあります。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…