サッカーライター加部究氏の著書「サッカー移民」。
ご本人からぜひ読んでみて!と言われて読み始めたら、寝るのも忘れて読んでしまった凄まじい威力のある一冊。
ブラジルに生まれ、ボールとともに育った彼らは何かに導かれるように父母の国へやってきたー。
日系ブラジル人たちがサッカー未開の地、日本へ…
彼らが育んだ日本サッカーの歴史を学べる一冊です。
この本には多くの日系ブラジル人の物語が綴られています。
日本サッカーに多大な貢献をした偉人たちの物語はとにかく面白く、胸が熱くなります。
多くの日系ブラジル人の中でも異才を放ったと、たくさんの関係者が口にするセルジオ越後氏のエピソードは特に面白かったのですが、本書に登場するセルジオ氏の言葉が本質的で印象に残っています。
その一部を引用してご紹介したいと思います。
日本は “遊び” のプロセスが抜けている
「練習をしたら巧くなるというのは間違い。ブラジルでは巧くなったら、練習をするようになる」
— Kei Imai (@Keivivito) 2018年8月14日
セルジオ越後の言葉
サッカーは練習しなければ巧くならない。
こう考える指導者は多いでしょう。
しかし、本当はサッカーで遊び、その中で巧くなってから練習が必要になるのです。
日本では、サッカーに興味を持った子供たちは“遊び”のプロセスを経ずに練習させられてしまうのです。
大人が練習をしなければならない!という考えを捨てる必要があるのです。
育成年代では特にそうです。
サッカーが好きになれば、子供自らが巧くなりたいと思うでしょう。
巧くなりたいと思った時、練習が必要になるのです。
“遊び”のプロセスなしに、練習をさせている事で多くを失っているのではないでしょうか。
サッカーをプレーするということ
「セーフティファースト」と監督。
— Kei Imai (@Keivivito) 2018年8月14日
「でもねえ監督さん、これ練習試合でしょ。右足で外へ蹴り出すなら、どうして左足でGKへ返さないの?」
とセルジオ。
少年サッカーの試合をみていると、必ず同様の声が聞こえてきます。
リスクをおかさず安パイにプレーしろと指導者が言うんです。
本当に良いプレーをする為にはリスクをおかしてチャレンジする必要があります。
サッカーはそういう特性を持ったゲームです。
大人が成長の機会を奪っているケースは多分にあります。
失敗は成長の機会なのです。
サッカーをプレーするとはそういうことなのです。
サッカーの楽しさとは
みんな勝ち負けだけでサッカーをやっていて、一つ一つのプレーを味わうということがなかった。蹴ると決めたら必ず蹴る、そんな融通の利かないプレーばかりで、フェイントをかける楽しさも、かけられる悔しさも知らない。 pic.twitter.com/OKA1gltyw0
— Kei Imai (@Keivivito) 2018年8月14日
サッカーを楽しむ土壌を育むこと
「どうも日本では普及と強化の違いが理解されていない。みんな、教えた子は全て巧くなり選手になってくれなくては困ると考えている。強化にはお金をかけるけれども、普及はボランティアに頼るんだ」
— Kei Imai (@Keivivito) 2018年8月14日
なんのためにサッカーを教えているのでしょうか?
ほとんどのサッカークラブは普及が本来の目的にあるはずです。
しかし、サッカーの楽しさを伝えるため!と答える指導者より、サッカー選手にするため!という答えが出てきてしまう指導者が多いように感じます。
その結果、サッカーが楽しくなくなってしまい辞めてしまう子どもが大勢いるのです。
サッカーを“遊ぶ”ことの大切さを今一度、思い出す必要があるのではないかと思うのです。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…
子どもがみるみる変わる ミゲル流 人生を切り開く「自信」のつけ方 ミゲル・ロドリゴ 赤ちゃんとママ社 2016-07-01 売り上げランキング : 167708
|
「ことば力」のある子は必ず伸びる! 高取 しづか 青春出版社 2018-03-21 売り上げランキング : 19394
|
【関連記事】
>>【セルジオ越後の子育つ論】「自分はこう育てられたから」「世間はみなそうしてるから」で本当に良いの?
>>セルジオ越後の教育論 「創造教育のカギはスペースを与えること。放っておかれたことは、今思うと最高のプレゼントだった」