こんにちは、NPO法人スポーツコミュニティ磐田・ポーラスターの高橋亮祐と申します。
ぼくは現在、子どもから大人まで誰もがスポーツを楽しめる環境を目指し、運動あそび、ビーチサッカー、フットサル、サッカー指導をしながら、子ども達と楽しい時間を過ごさせてもらっています。
現役のビーチサッカープレーヤーとしても日々成長するためにトレーニングもおこなっていいます。
今回、ご縁があり「大人になって学ぶサッカーの本質」 様(以後、当ブログと表記)から寄稿の機会をいただくことができました。
いつもサッカーの本質をつく記事に気づきや共感をもらっている読者の一人でもあります。
当ブログの中でも話題になる育成年代の勝利至上主義。
その勝利至上主義についての記事を寄稿させていただきました。
「育成年代の勝利至上主義を脱却できなければ日本サッカーは強くならない」
という大きなタイトルですが、日々感じている育成年代の現状や問題を改善するためにぼくの想いも含めて、考えていきたいと思います。最後は所属するクラブの取り組みをもとに掘り下げていきたいと思います。
プレーヤーとしては23年間、指導者としては高校3年生から始まった指導経験を合わせると約10年間の経験と学びを交えて書かせていただきました。
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小さな街クラブだからこそできる日本サッカーへの貢献と日本代表がW杯で優勝するという壮大な夢を叶えるべく建設的な議論のきっかけになれば嬉しいです。
サッカーを愛する多くの人に拝読してもらえる機会をいただいたので、想いをたっぷり込めて書かせてもらいました。そのため、少し長くなってしまいましたが約7分ほどお時間いただければ幸いです。
目次
ドイツと日本のサッカー人口の比較
93万人と75万人
この数字をご存知でしょうか?
サッカー人口を示すデータとしてこんな数字があります。
日本の人口約1億3000万人
サッカー人口(選手登録数)93万人
うちU−19までのサッカー人口は75万人
対してドイツは
ドイツの人口約8400万人
サッカー人口704万人(世界最多)
うちU−19までのサッカー人口は220万人
日本とドイツのサッカー人口の数字から以下の3つが考えられます。
①圧倒的なサッカー人口の差
ドイツは全体人口の8%がサッカーをプレーしている。
日本は全体人口の1%に満たない。
②サッカー人口の内訳
ドイツはサッカー人口の31%がU−19以下
言い換えると69%は20歳以上がサッカーをプレーしている。
日本のサッカー人口は80%がU−19以下
言い換えると20歳以上になると日本は20%しかサッカーをプレーしていない。
③日本は高校卒業後、もしくは就職や進学をするとサッカーをプレーしなくなる人が多くなることが考えられる
①のサッカー人口総数もよりも問題視しなければいけないのは②の方だと考えます。日本人は20歳以上になるとサッカーをプレーする人が20%しかいなくなると言うのはサッカーを続けにくい日本の社会的構造や様々な娯楽があることが考えられますが、指導という視点でみたときに高校サッカー部やクラブチームで燃え尽きてしまい、サッカーをプレーしなくなってしまっているのではないかと思います。
サッカーをプレーすることそのものに楽しみを感じられなくなるプレーヤーが多いのではないか。いずれにしても、サッカー大国ドイツと日本の20歳以上のプレーヤーの人数の違いに驚きを隠せません。
ドイツや強豪国の育成すべてが正しいとは限りませんが、育成年代の指導について本当の意味でもっと深く考えていかなければいけないとぼく自身は感じています。
20歳を過ぎてもサッカーが好きでプレーし続けたいと思える心、サッカーをプレーすることが楽しいと思える心を育成年代で本当に子どもたちに伝えられているのか?そして、サッカーの本質を伝えられているのか?
ぼく自身への問いかけも含めて答えを探していきたいと思います。
20歳を区切りにサッカーをプレーしなくなるのは育成年代の指導に原因がある。
そう感じてしまう現場をプレーヤーとしても指導者としても見てきました。
そんなエピソードを3つ紹介させてください。
サッカーの楽しさを知らずにサッカーを辞めた弟
「なにやってんだ!!!」
試合中、相手チームに点を取られ始めるとだんだんと口調が強くなり怒り出すコーチがいました。
当時小学6年生のぼくが在籍していた少年団の4つ下の学年で弟はプレーしていました。いつもそのコーチは試合中に点を取られ始めるとだんだんヒートアップして
「なにやってんだ!!!」
プレーしている子どもたちに怒鳴りはじめます。
そんなコーチのもとでのサッカーは楽しいはずもなく、弟は「サッカー楽しくない」と言って3年生のころサッカーを辞めました。少しサッカーから離れると「またサッカーやりたい!」と言って1年後に復帰してからは高校までサッカー部で続けていましたが大学進学と同時にサッカーを競技として取り組むことはなくなりました。
控えめに言って、ぼくよりも弟のほうがサッカーセンスはありました。
でも、サッカーをしている時の弟の表情はどこか怯えているように感じていました。
もし、小学校のときにサッカーの楽しさを感じることができていれば、サッカーをもう少し長く続けていたかもしれないし、もっと上のステージでチャレンジしたいと思える心が芽生えたかもしれないと考えるときがあります。たらればの話になってしまいましたが指導をしていると、ふと頭にそのことが浮かんできます。
「どこへ蹴ってるんだ!!」と怒鳴る指導者
つい先日も小学1年生と2年生のチームが20チームほど集まるU7のサッカー大会でこんなことがありました。
ぼくが指導している1年生の対戦相手チームの子がドリブルでスーッと2人3人と抜き、ゴール前でシュート。シュートは惜しくも枠外。
ぼくはそのプレーをみて純粋に
「おおー!すごいドリブル。シュートも惜しい!」
と少しばかり感動してしまいました。
でも、対戦相手のコーチはシュートを外した子に
「どこ蹴ってるんだ!ちゃんと狙え!!」
とかなり強い口調で言っていました。
その子のドリブルは上手だからシュートを決められるようにいつも指導をしているのかもしれない、と思いましたが小学1年生でスピードに乗って3人も交わしてシュートをするだけでもかなりレベルは高い。
メッシだってシュートを外すことがあるくらいなのに
「どこ狙っているんだ!!」
と怒鳴っているコーチの言葉を聞いて悲しくなりました。
「惜しい!!上手にドリブルできたな。次はどうやったらシュートがゴールにいきそうかな?」
と言うような声かけができないのかと感じてしまいました。
ジュニア年代だけでなくジュニアユース、ユース年代でもこんな指導者の声が試合中に聞こえてくることが少なくありません。
勝負のかかった試合になったら出られない選手がいる
クラブのベテランコーチとU‐8交流試合のあとに話題になったんですが、
U-8(小学2年生)の試合で、対戦チームのコーチが「今はみんな試合に出られるけど、これから勝負のかかった試合には出られない子も出てくるからね!」とベンチで言っている言葉がたまたま耳に入ってきました。
この言葉を聞いてあなたはどう感じたでしょうか?
・出られない子が出てくるのは仕方がない。
・サッカーは競争だからレベルの低い子は出られなくて当然。
・勝つためにはしょうがない。
本当にそうなんでしょうか?
そもそも勝負のかかった試合とはどんな試合なのか?
勝負のかかった試合はただそのチームのコーチが勝手に勝負のかかった試合を決めてしまっているだけではないでしょか。
勝負のかかった試合は子どもたちが決めることであってコーチが決めることではないと思うんです。
実際に指導しているクラブであったエピソードなんですが、同じ学校だけど所属チームが違う子が地域のリーグ戦で対戦するとなりました。いつもはクラスメイトだけど試合で相手同士になれば対戦するその子たちにとって勝負の試合になります。
クラスメイトと対戦することが決まった子もいつも以上に気持ちが入っていて自分から「キャプテンやらせて!」と名乗り出たほどでした。
クラスメイトだからこそ、勝ちたい、負けたくないという勝負心がその子に芽生えた瞬間でした。
子どもの内から湧き出てくるものがあった時が1番の勝負のかかった試合になるはずです。
先日も交流試合で1点差で負けてしまった直後に2年生の男の子が「今からもう一回試合やらせて!次は絶対勝つ!」と言ってきたことがありました。
その子にとって負けたチームと再戦する時が勝負のかかった試合になるはずです。
大人だって勝てば嬉しいです。
でも、勝つことへのプレッシャーを大人から子どもへ与えてしまうのは外からのプレッシャーになってしまいます。今は小さいかもしれませんが外からのプレッシャーが大きすぎてしまえば押しつぶされてしまう危険だってあります。
それよりもクラスメイトと対戦することや試合に負けた直後に次は絶対勝つ!と言ってきた男の子のように子どもの中から湧き出てくる意欲を大切にしてそれを自らプレッシャーに変えていけるように指導者が方向性を示していけばよいと思うのです。
「勝負のかかった試合になったら試合に出られない子がでてくる」と考える前に、レベルの低い子がいる中でどうやったら勝てるのか?同じ時間平等に試合に出すのが難しいなら時間は短くても出られる工夫をしながら勝てるようにするのが指導者だと思うんです。むしろレベルの低いという大人の視点そのものが間違っているかもしれません。どの子にも強みは必ずあるはずです。それを引き出せるようなチーム作り、雰囲気作りをしていかなければいけません。
ぼくも指導者の端くれとしてどんな試合であっても勝ちたいと常に思っています。勝つことは嬉しいですし、得られることがたくさんあることもプレーヤーをしていて身を持って感じてきました。
でも、指導者が外から子どもたちへプレッシャーをかけてしまうのは違うと思うんです。勝負のかかった試合は子ども自身が一番よくわかっていますし、一番感じています。大人の決めつけではなく、子どもが勝負のかかった試合はどんな時なのかを感じられるように手助けをしてあげることの方が大切だと思います。
紹介させてもらった3つのエピソードは実際に育成年代の現場で起こっていることです。プレーヤーズファーストを考えたときに子どもたちへかける言葉は本当にプレーヤーのためのものになっているのか?疑問に感じることがあります。
ぼく自身も含め常に意識しなければいけません。
では、どのようにすれば子どもたちがサッカーを楽しみ、心からサッカーを好きになり、成長していけるのか?
その先に生涯サッカープレーヤー、高いステージへの挑戦する心を育むことができるのかを自分自身も含め私たち指導者は考え続けなければいけません。
そんなことを日々考えていく中で先日のロシアW杯で話題になった大迫半端ないで感じたことがありました。
大迫半端ないよりも半端ない監督
2018年のロシアW杯で日本中で大きな話題になった「大迫半端ない」
ロシアW杯で大迫半端ないがブームになった時、クラブのベテランコーチとこんな話をしました。
「大迫選手も半端ないけど、滝川第二の監督はもっと半端ないよね。」
相手選手、相手チームを讃え、強さを認め、なおかつ選手たちとフランクに会話をする姿。
とてつもなく半端ない。
そう感じました。
大きな大会で負けてしまった監督が
「あれは絶対、全日本(日本代表)入るな!あれはすごかったな。おれ握手してもらったぞ。サインもらおうかなと思ったけどペンがなかったんよ。鹿児島城西を応援しよう!」
ニコッと笑顔で言っているのです。
大事な試合で負けても選手がユーモアたっぷりに発言できる雰囲気、気さくに選手と監督が会話できる関係性。
負けた後のロッカールームの雰囲気をみただけでも指導のヒントがたくさん詰まっていると感じました。
選手も監督もサッカーを心から楽しんでいるのが伝わってくる映像でした。
たしかに、ぼくが関西の大学でサッカー部に入りプレーしている頃、4学年いる部員の中に必ずと言っていいほど2、3人の滝川第二高校サッカー部出身の選手たちが在籍していました。
心からサッカーを楽しんでいることが伝わる選手たちばかりでした。
卒業して社会人になってもサッカーをプレーしている選手も多く、滝川第二高校サッカー部から多くのプロ選手やW杯選手を輩出している理由を当時はなんとなく肌感覚で感じていました。
サッカーは楽しくなければ成長できないし、楽しくなければ好きにはなれない。
好きになれば夢中になってどんどん成長できる。
好きになればどんな困難だって乗り越えられる。
厳しさや苦しさを与えるのではなく、自分から乗り越えようとする心の土台ができるようにするのが指導者の役割の一つだと考えます。
勝つことだけを追い求めてしまうから悪質タックルも、パワハラも、起きてしまうのではないでしょうか。最悪の場合、自ら命を絶つと言う取り返しのつかないことがおこってしまうのです。
勝利至上主義ではなく、10年後、20年後の未来につながる、選手のための本当の育成をしていかなければいけません。
では、未来につながる育成をしていくためにはどのようにしていけばいいのか?
指導者への道をしるしてくれた恩師や指導させてもらっているクラブのベテランコーチからの言葉や取り組みから3つのことを紹介させてください。
町クラブの取り組みの紹介
キッズ年代の指導を経験することで指導の本質を掴むことができる
クラブでぼくは幼稚園、保育園、こども園に出向き運動あそびの指導をしています。
この活動は大学4年間キッズプログラムと言う名目で幼稚園や保育園、こども園に出向き指導させてもらっていた経験がきっかけとなっています。
大学サッカー部時代の恩師やクラブのベテランコーチは、「指導者を目指すなら入り口としてキッズ年代の指導をすべき」と言っています。
最初は半信半疑でしたがキッズ年代の指導の難しさや奥深さを学んでいくうちに、たくさんの気づきを与えてくれました。指導中の声のかけ方、タイミング、選ぶ言葉、指導者の立ち振る舞い。あげればキリがないですが本当に多くのことを教えてくれます。
どの年代やカテゴリーもよりもキッズ年代の子どもたちは反応がストレートに跳ね返ってきます。子どもはよく大人の言動をみています。
指導が楽しくなければやりませんし、楽しければ目をキッラキッラさせて夢中になって体を動かします。
キッズ年代の指導をすることで指導者としての土台を作ってくれると自身の経験からも感じています。
勝つことだけが育成だと思っている指導者の方にはぜひキッズ年代の指導を体験してみて欲しいです。きっとたくさんのことを気づかせてくれます。
審判のいない交流試合
所属クラブでは、審判なしの交流マッチを定期的におこなっています。
書籍:ドイツの子どもは審判なしでサッカーをするからヒントを得て、所属クラブ主催の交流マッチになります。
カテゴリーはU‐8。
交流マッチの大きなテーマとしては書籍のタイトルにもある
○自主性
○向上心
○思いやり
の3つです。
大人がいなくても子どもたちは、ピッチの真ん中に集まって整列→挨拶→握手→試合開始→終わりの合図→整列→挨拶→握手をして試合をはじめます。
チームや子どもたちによっては、スムーズにいかなかいこともありますが、それは回数を重ねるごとに慣れていきます。
試合中も自分たちで考えて、判断し、行動することが増えるようになっていきます。
想いに共感して参加してくださった全てのチームで自主性、向上心、思いやりをかいま見ることが増えてきました。
試行錯誤しながらの取り組みですが、想いをカタチにしながら10年後、20年後の子どもたちの未来に繋がる環境づくりを進めています。
ご参加いただているチームの皆さま、コーチの皆さま、応援にきてくださっている保護者の皆さんの理解あっての活動。それぞれの想いを大切にしながらこれからも活動をしていきます。
ゴールを決めたらみんなで喜びを分かち合う
クラブでは紅白戦でも練習試合でも公式戦でもゴールを奪ったら全員で喜びを分かち合えるようにゴールを決めた人は全員にハイタッチするように声かけをしています。
なぜあえてそんなことをしているのか?
それはジュニアサッカーの試合をみているとグランドに誰の感情もないような雰囲気を感じることがあるからです。
ゴールを決めても無表情で走って自陣のコートへ戻る。まるで感情のないロボットがサッカーをしているように見えてしまうときがあるのです。それは学年が上がるにつれて感情が薄れていくような感覚です。喜びも悔しさも何もない平らなサッカー。
サッカーはゴールが決まれば喜びを爆発させ、チーム全員で喜びを分かち合ったり、たたえあったり、点を決められたら仲間を鼓舞しゴールを奪い返しにいく。
感情を思いっきり表現するのは人間の本能のはずなのに年を重ねるにつれ少しずつ薄くなっていく。サッカーの時だからこそ感情を思いっきり表現することを日々の練習の中で積み重ねていかなければサッカーを体で感じられるようになるのではないかと思います。
また肌と肌を触れ合わせることが少ない日本人だからこそ、あえて身体接触を多くし心と体の物理的距離感を近くしていく必要もあります。それが心理的距離も近くさせ、心と心が通じあい熱を感じるサッカーになっていくと感じています。
サッカーにおいて相手を感じるという一番大切なものを肌感覚で感じていけるようにしなければいけません。
長くなってしまいましたが、最後まで目を通していただきありがとうございました。
今回、「育成年代の勝利至上主義を脱却できなければ日本サッカーは勝てない」というタイトルで書かせていただけたことでより、自分の行動が明確になりました。
あらためてこれからの自分自身の指導者としての活動は、
①キッズ年代からの楽しい運動あそび指導と心と体の土台づくり
②楽しさを探求した先にあるプレーヤーのサッカースキル向上
③生涯プレーヤーと世界で活躍するプレーヤーの輩出
の3つです。
これからも指導力を高めながら育成について指導スキルと技術・知識を深めていきたいと思います。
今回、お声をかけてくださった「大人になって学ぶサッカーの本質」 様、本当にありがとうございました。
自分自身のサッカーの本質を追求する旅をつづけていく刺激となりました。
サッカーの本質を追求する旅はつづく...
書き手
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