日本サッカーには特有の問題がある。罰走や体罰という理不尽な指導、高校サッカーが引き起こす弊害、部活動問題などサッカー先進国では考えられないような問題が日本には多く存在する。そんな「鎖国」日本をアップデートさせることを志す1人の若者によって始まった連載企画「日本サッカーを開国せよ」。
今回のテーマは「長期政権の高校サッカー①」
文:小谷野拓夢
◯目次
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①はじめに
毎年恒例の全国高校サッカー選手権が始まった。
ひたむきにプレーする選手に目を向けがちだか監督にも目を向けてほしい。
そうすると何かに気づく。そう。年齢層が高いことに、そして長年そのチームを率いていることにだ。
指導者の長期政権が当たり前となっているのが、高校サッカーの特徴の1つなのだ。今回はその「長期政権」をテーマに進めていきたい。
②長期政権が示すこと
指導者の長期政権が指し示すこと。それは2つある。
1つが、指導者が全く評価されていないということだ。
良い指導をしていてチームや選手のレベルを向上させているにも関わらず、更なるステップアップができていないという現状が分かる。反対に、あまり良い指導をしていなくても、長く監督の座に居座っている可能性もある。
指導者が良い意味でも悪い意味でも評価されていないということが分かる。
2つめが、若い指導者の活躍する場がないということ。
日本サッカーの課題の1つに、サッカー指導者が育たないことがある。Jリーグをみても「顔なじみ」の監督か外国人監督が殆どで、新たに抜擢されるケースはあまりない。
そういったことが高校サッカーでも起きている。指導者が循環していないため、若い指導者は年齢を重ねるまで日の目を浴びることがない。そのような現状が読み取れる。
シンプルにまとめると、「競争がない」ということ。実力主義というよりも年功序列な社会なのだろう。
③なぜ長期政権になるのか
ではなぜ長期政権が起こるのか。その理由は2つある。
1つが、監督の殆どが先生と兼務しているからである。先生として雇われているため、先生として解雇されることは問題を起こさない限りない。つまり、監督の役職も手離すことはない。どんなに素晴らしい若い指導者がいても、年上の先生が監督をする仕組みになっている。(もちろん例外はあると思うが)
2つめが、評価する存在がいないということ。今の高校では、その高校の監督がどんな指導をしていて、何を基準として活動しているのか明確に分かっている人物が監督自身以外にいないというのがほとんどだと思う。
そうなると自分で自分を評価せざるを得ないということになる。無論自分で自分をステージアップさせることはできないし、良い指導をできなかったからといって自ら辞任する監督もいないはずだ。
そうなると、自然と監督の役職は変わらないままである。
理想はテクニカルディレクターなど監督を評価する存在が各チームに配置されるべきであるが、今の「部活動」では難しいというのが現状である。
④おわりに
今回は高校サッカーの問題点に目を向けた。意外と気づかないところに問題は転がっている。
次回は「長期政権の高校サッカー②」として今回の続きを書きたい。
どうすれば、長期政権問題は解決されるのか?自分なりの意見をまとめたい。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…