日本サッカーには特有の問題がある。罰走や体罰という理不尽な指導、高校サッカーが引き起こす弊害、部活動問題などサッカー先進国では考えられないような問題が日本には多く存在する。そんな「鎖国」日本をアップデートさせることを志す1人の若者によって始まった連載企画「日本サッカーを開国せよ」。
今回のテーマは「応援がブームであり続ける高校サッカー」
文:小谷野拓夢
〇目次
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①高校サッカーの応援はブームである
「高校サッカーの応援はブームである。」という言葉に対し「は?」となる方もいるだろう。しかしこれは紛れもない事実である。まずは下の図を見てほしい。
高校サッカー選手権(以下:選手権)の決勝ともなれば数万人もの人が訪れる。これは間違いなくブームではなく、文化になっているだろう。冬になればおなじみの音楽が流れ、高校生がサッカーをしているのは「冬の風物詩」であることは間違いない。しかし、それは選手権の話である。普段のリーグ戦などの対外試合にどれだけの観客が訪れるだろうか。もちろん注目度の違いはあるが、あまりにも差があるのではないだろうか。
僕が思うに高校サッカーにおいて「選手権」を応援する人は多くいても、「サッカー」を応援する人は少ないのではないかと思う。だってあれだけ集まる観客は選手権が始まるまでどこにいるというのだろうか。その証拠となるのが、選手権以外の試合である。明らかに観客の数が少ない。なぜなら選手権に興味はあってもサッカー自体には興味はないからだ。
②高校サッカーの応援はここがおかしい
高校サッカーの応援にはおかしい点がいくつかある。
(1)選手が応援する文化
これは最近気づいたおかしなことなのだが、同じチームの選手が応援団を結成し声を出して応援していることである。応援することはむしろいいことなのだが応援団を結成するほどに「ベンチ外」の選手が多いという現象である。「ベンチ外」の選手も仕組み(1チーム当たりの人数制限など)が変われば、選手権に参加できたかもしれない。
さて、話を戻そう。「ベンチ外の選手」が同じチームの選手を応援するのはチームメイトとしておかしなことではない。しかし、それを選手権のときだけ行うのはなにかおかしい気がする。もしかするとここでも選手権効果が発揮されているのかもしれない。例に練習時間を削って応援練習をしているチームもあるのが事実。心底応援したいから応援しているという選手よりも、半ば強制的に応援させられている選手もいるかもしれない。。
(2)選手権を応援する人々
これは①でも書いた通り、選手権は応援するがそれ以外の対外試合は応援しないようなおかしな現象である。選手権の人気度・認知度は理由が分からないくらいに高い。しかし、選手権にファンやサポーターがいくら増えても、サッカー自体に興味がなければ元も子もない。文化というのは、生活の一部であり人々にとってなくてはならないものである。そう考えたとき、高校サッカー全体としての応援は選手権の時だけ盛り上がるブームであるに違いない。
もしかすると、中には選手権をきかっけにサッカーに興味を持つようになった人もいるはず。それは良いことである。ここで問題視しているのは、「選手権」には興味があり応援しているが、普段の高校サッカーには興味がないという現象である。これはあきらかに「おかしい」ことではないだろうか。。
③改善するためには
では高校サッカーの応援をブームではなく文化にするためにはどうすればよいのだろうか。これはいたってシンプルで「地域の人々を巻き込む」ことである。Jクラブのようにホームタウンの人たちがホームの試合に足を運んでくれるような文化を作ればいいのである。しかしこれは簡単ではない。Jクラブだって苦戦していることなのだから。
簡単ではないことを踏まえて、高校サッカーのチームも地域に対して貢献できるような取り組みをすることが地域の人々を巻き込む一つの方法である。地域に依存するのではなく、地域が依存するような存在を目指すのが「高校サッカーの応援を文化」ことにつながる。
④まとめ
いかがだっただろうか。伝えたかったのは「選手権だけでなく、高校サッカーの日常に目を向けよう」ということ。それが日本サッカー全体の人気向上につながるはずだから。
書き手
>>日本サッカーを開国せよ vol.4|怒鳴るコーチはなぜ怒鳴ることしかできないのか
>>日本サッカーを開国せよ vol.3|先生でありコーチである教師の是非を問う
サッカーの本質を追求する旅はつづく…
人の心を耕す 怯まず、驕らず、溌溂と。サッカーで「心の芯」を育てるコーチング道 | ||||
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