近年、サッカー界では、よく走る選手を高く評価する傾向がある。
「あの選手はあんなに走ったぞ」
「みんなのために献身的に動いた」
と評価されるようになった。
「走れない選手はどんなにテクニックがあろうが試合にでることはできない。」
そんなトレンドに指導者が煽られたせいで、テクニシャンが絶滅危惧種になっている。
この現状にクライフはこう批判した。
10番を走らせる監督は二流だ
「ユーロ2008の頃から、試合中に一番多く走ったFWやMFが賞賛されるようになったが、こういうトレンドは、私のサッカー観とは完全に相反している。私に言わせれば、1試合で10km以上も攻撃陣が走るのは、間違ったポジショニングをしているからだ。走り回ることに労力を費やすより、一瞬のひらめきや重要な場面での突破などのために、体力を温存しておくべきだ。無駄に体力を消費してしまうと、判断が鈍り、プレーのキレが悪くなり、結果的にチームにとってもマイナスになってしまう。だから守備の選手はいいとしても、攻撃の選手が長距離を走らされるのは、私は間違っていると思う。10番を走らせる監督は二流だ。」
【参考文献】増補改訂版 クライフ哲学ノススメ ---試合の流れを読む14の鉄則 (サッカー小僧新書EX005)
「あまりにも多くのテクニシャンたちが、数多くのチームで無意味な労力の犠牲になっている。それは現代サッカーの間違った美徳だ。このままだと100%の力を出せないだけでなく、選手生命を短くする原因になってしまう。昔に比べて選手たちは早く燃え尽きてしまうだろう」
「サッカーが面白くないんです…」
私の下にそんな相談をしてくる中学生や高校生のプレーヤーが年々増えている。
話を聞いてみると、監督やコーチたちの間違ったサッカー観が垣間見える。
「シンプルにパスして、走れ」とボールを持つと怒られるんです。自分はあえてボールを持って時間をつくりたかったと主張したんですが…」
「軍隊のように走ってばかりの練習でサッカーがどんどん下手になっている気がします。」などなど…
サッカーに必要な駆け引きはないがしろにされ、遊心も失った指導者が跋扈しているということだろう。これではダメだ。
指導者がサッカーを知らないのであれば、選手が自ら学ばなければならない。
クライフが残した言葉から多くを学ぶことができる。
大事なのはどうしたら走らずに済むサッカーができるか考えること
「常にパスコースを2つ作るように、ポジショニングの練習を徹底的にやる。これで無駄にボールを奪われなくなる。次にボールを失ったとき、チームとしてどう素早く的確にプレスをかけるのかを訓練する。素早いボール奪取ができるのと、できないのでは大違いだ。もしすぐボールを奪えれば、10m〜15mのダッシュで済む。しかし、それに失敗すると、攻撃陣は毎回40mの距離を戻らなければいけない。どちらが効率的かは言うまでもないだろう。」
近年のバルセロナを筆頭にこのようなプレーを実践して結果を出すチームが増えてきた。しかし、これができるチームというのはごく僅かだ。
現代サッカーはフィジカルレベルが格段に上がり、すべての選手に“走ること”が求められている。
だからこそクライフはインテリジェンスの重要性を説く。
無駄に走らないことがもっとも重要なテクニック
「私が言っているのは、チーム全員が走らなくていいといっているわけではない。チームのために、献身的に走る選手も必要だ。ただし、正しいポジショニングを心がけることによって、そういう選手の走行距離すらも下げることが可能なのだ。」
サッカーは走らなければならないゲームだ。
しかし、大事なのは、いつ走るか、 いつ走らないかを理解することだ。
無駄に走ることで多くを失うことになる。
サッカーが本当に上手い選手は、無尽蔵に走ることができる選手ではなく、走るべきときに走ることができる選手だ。
【引用文献】
サッカーの本質を追求する旅はつづく…