先日、近所のコンビニで小学生2年生くらいの小さな女の子が、お菓子を買うためにレジにいました。大学生くらいの若い店員さんが接客をしていたのだけれど、応対がとても機械的でマニュアル通りの対応で驚きました。
もしかしたら、あの店員さんは子どもが好きじゃないのかもしれません。ちょっとコミュニケーションが得意じゃないのかもしれません。なので、ある程度仕方がない可能性はあると思います。でも、やっぱりちょっと寂しい光景だったなあ。
桜井章一さんの「感情を整える」という本を思い出しました。
感情が人工化すると、生の天然の感情が抑えつけられ、それによって感情の流れが滞り、感情の整理がちゃんとできなくなるからだ。そのために、ちょっとした不安や寂しさ、怒りといった感情が必要以上に増幅され、尾を引いたりするのである。
なぜ人工的な感情がこれほどまでに増えたのだろうか。 ダジャレではないが、人工的な感情は「勘定」に似ていると思う。 つまり、損か得かだ。損か得かで動くには、素の天然の感情を出すわけにはいかない。代わりに人工的な感情をつくって出したほうがスムースに行動できる。 いまの人が損か得かといった勘定ばかりするようになったのは、いうまでもなく効率主義や合理主義を軸とした経済的な価値観が、この社会では何よりも優先されているからである。つまり、人工的な感情を素の天然の感情に戻す一つの方法は、損か得かといった経済的な価値観から離れたところで、ものごとを考え、行動する機会を増やすこと…
感情を表現することって大切だと思うんです。日常の中でどれだけ感情を表現する機会があるでしょうか。
学校や会社でも、一生懸命感情を制御しなければならない、部活動やクラブ活動でも感情を表現する機会が失われているのだとしたら、冒頭にお話ししたコンビニ店員さんの接客のような無機質なコミュニケーションになってしまうのも仕方がないのかもしれません。
でも、もっと人とのコミュニケーションの中で自然に湧き出る感情を大切にしないと、人間らしさは出ないよなあと思います。多くの人が感情を制御する力ばかり鍛えられて、感情を表現する力が育まれていないのではないかと思います。