大人になってから学ぶサッカーの本質とは

サッカーの本質を追求するWebマガジン 考えるよりも感じることを大切に 美しさとは何かを感じる心を大切に 大切なものを失わない為に書き綴る                    ※当ブログはプロモーションが含まれています

幼少期のサッカーが人生、キャリアに与える影響|井筒陸也さんの著書「敗北のスポーツ学」を読んで

follow us in feedly

f:id:keikun028:20220514084557j:image

元Jリーガーで、現在はクリアソン新宿のブランド戦略に携わる井筒陸也さんの著書「敗北のスポーツ学」をご紹介したいと思います。

先日、zoomでお話をさせていただくことになり、お会いする前に著書を読み始めたのですが、哲学的な深い思考でフットボール、スポーツを洞察されていて、新たな気づきと学びがありました。今後また別の切り口でご紹介することになるかと思いますが、今回は「幼少期のサッカーが人生、キャリアに与える影響」というテーマで、本書の一部を引用しながらご紹介させていただきます。

 

サッカー選手のプレースタイルは、精神的なものではなく、身体的条件によって決まります。サッカーをはじめて間もない頃に「攻撃的な性格を持っているから」フォワード(FW)になるわけではなく、そのような人格が発現する前に、例えば、ただ単純に「足が速いから」FWになるのです。仮に、「人格によってポジションが決まるのか、ポジションによって人格が決まるのか」という論争があるなら、その答えは間違いなく後者です。僕はディフェンダー(DF)で、後方から俯瞰してゲームを組み立てることに長けているし、それを好んでいると思います。しかし、そういう人間だったからDFをしてきたのではなく、DFをしてきたからそういう人間になったと確信しています。僕がFWをやらなかったのは、ただ足が遅かったからです。

特にサッカーのように、当たり前のように幼少期からはじめるスポーツでは、人格より先にポジションが決まり、そのポジションに与えられたキャラクター(例えばFWだとエゴイストとか、DFだとリーダーとか)を引き受けることになります。それが逆方向的に、人格形成に影響を及ぼすわけです。物心がつくよりも先に、自我が目覚めるよりも先に、サッカーがあった。そうして、人格形成すらサッカーによって方向付けられてしまったことにより、サッカーと自分のアイデンティティが絡み合ってしまっているのです。これが、僕たちの人生を難しくしている大きな原因の一つです。

幼少期のサッカーが人生、キャリアに与える影響

この本のメインターゲットは、現役のサッカー選手、キャリアに悩む元サッカー選手になると思いますが、サッカーの育成年代に携わる方にもおすすめしたいです。保護者も含め。

アスリートのキャリア、人生設計を考える上でとても重要なことが書かれています。

ご紹介させていただいた上記の引用部分になりますが、子どもたちはサッカーを始めたばかりの頃にポジションを決められます。多くの場合、身体的特徴を元に決められる経験を私たちはしてきました。子どもたちの指導をする側になったばかりの頃、私自身もそういう傾向があったように思います。

足の速さ、体の大きさでFWかDFかが決められる。それは当たり前のことでもありました。

しかし、子どものサッカー指導に関わる大人は、下記の部分を考える必要があると思います。

人格より先にポジションが決まり、そのポジションに与えられたキャラクター(例えばFWだとエゴイストとか、DFだとリーダーとか)を引き受けることになります。それが逆方向的に、人格形成に影響を及ぼす

 

私たちは、精神的なものではなく、身体的条件でポジション適性を判断してしまうことで、人格形成に影響を及ぼす可能性があるということを理解した上で子どもたちを指導する必要があるということです。

 

私が中南米を旅した時に現地で目にしたのは、背が低いセンターバック、足が遅いけどゴールを量産するストライカーでした。現地のプロの試合も、草サッカーも、子供たちのサッカーもそうでした。

彼らの文化では、身体的な特徴と内面的な特性も重要視されているのだと思います。

なにより、子ども自らの気持ち、想いが尊重されるという側面があるのもそんな文化が育まれた理由なのだと思います。

つまり、その子がどんな表現をしたいのか、内側にあるものを引き出すこと、あるいは複数のポジションを横断させて適性を見極めていく、このような試行錯誤が当たり前になっていくこと。

内面とポジションを擦り合わせていくことが大事になっていくのではないかと感じました。他にもいくつかアプローチはあると思います。

重要なのは、育成年代の指導者、関わる大人はその子のキャリア、人格形成に少なからず影響を与えているという自覚と、その責任を持つ必要があるということです。

育成年代からの視点でも、たくさんの気づきがある一冊です。ぜひ、ご一読ください。