大人になってから学ぶサッカーの本質とは

サッカーの本質を追求するWebマガジン 考えるよりも感じることを大切に 美しさとは何かを感じる心を大切に 大切なものを失わない為に書き綴る                    ※当ブログはプロモーションが含まれています

サッカーは、驚く力を失わないためにある ――子どもたちの「センス・オブ・ワンダー」を守れるか

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「子供たちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。」

「センス・オブ・ワンダー」(レイチェル・カーソン著、上遠恵子訳)より

 

レイチェル・カーソンのこの言葉を読んだとき、

私はグラウンドを駆け回る子どもたちの姿を思い浮かべた。

ボールが少し弾んだだけで笑う。

味方の思いがけないプレーに目を丸くする。

風の強さや、芝の感触や、空の色さえも、

子どもたちは身体ごと受け取っている。

彼らにとって、サッカーはまだ「競技」である前に、世界と出会うための冒険なのだと思う。

けれど、カーソンは続ける。

「残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。」

この言葉は、少し痛い。

なぜなら、私たち大人は、子どもたちのそのみずみずしい感受性を守る存在であるはずなのに、ときに、いちばん先にそれを鈍らせてしまう側にもなっているからだ。

子どもは、結果より先に「驚き」で育つ

サッカーの育成現場では、どうしても上達や結果に目が向きやすい。

もっと早く判断してほしい。もっと正確に蹴ってほしい。もっと勝てるチームになってほしい。

それ自体は間違いではない。

勝ちたいと思う気持ちも、うまくなりたいと思う願いも、サッカーの大切な一部だ。

でも、本当に子どもたちを育てているのは、技術指導や戦術理解だけだろうか。

初めてうまくパスが通ったときの驚き。

思い通りに身体が動いた瞬間の感動。

仲間と呼吸が合ったときのうれしさ。

思いがけない失敗さえ、「次はどうなるんだろう」と思える好奇心。

そうした「驚き」の積み重ねが、子どもをサッカーに夢中にさせ、夢中になるから、結果として伸びていく。

育成の出発点は、評価ではなく驚きなのかもしれない。

大人は「正しさ」で、子どもの世界を狭くしていないか

カーソンは、子どもに「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目をみはる感性」を授けてほしい、と書いた。

けれど本当は、子どもはもともとそれを持っている。

問題は、それを失わせるものが何か、だ。

たとえばサッカーの現場で、私たちはすぐに「正しいプレー」を教えようとする。

その場面はパスだ。

そこは打つな。

もっと簡単に。

リスクを減らせ。

もちろん、その助言が必要な場面もある。

だが、正しさが先に来すぎると、子どもは「自分で見つける」喜びを失っていく。

本当は仕掛けてみたかった。

本当はその景色を、自分の感覚で確かめたかった。

でも、怒られたくないからやめる。

失敗したくないから無難に選ぶ。

そうして子どもの世界から、少しずつ「不思議」や「冒険」が消えていく。

サッカーが上達の場である前に、世界を発見する場であるなら、
大人が最初に守るべきは、子どもの正解率ではなく、その子の驚く力なのではないだろうか。

指導者の皆さんに問いたいこと

指導者は、教える人である前に、子どもの世界を狭めない人であってほしい。

うまくいかなかったプレーの中にも、その子なりの発見があったかもしれない。

ミスに見える選択の中にも、「自分でやってみた」という価値があるかもしれない。

大人はつい、完成形を急ぎたくなる。

チームを整えたくなる。

勝利というわかりやすい成果で、成長を確認したくなる。

でも、子どもたちの中で本当に大切なものは、整えすぎると失われることがある。

驚いたこと。

心が動いたこと。

もう一回やってみたいと思ったこと。

それらはすべて、自分から学びに向かうエネルギーの源だ。

指導者に求められているのは、答えを与えることだけではない。

「この世界は面白い」と感じられる入口を、子どもたちの前に残しておくことだと思う。

保護者の皆さんに問いたいこと

保護者もまた、子どものサッカーを最も近くで見守る存在だ。

だからこそ、どんな言葉をかけるかは大きい。

勝ったか。点を取ったか。ミスをしなかったか。試合に出られたか。

そうしたことばかりを問い続けると、子どもはサッカーを「評価されるためのもの」と感じ始める。

でも、子どもが本当に話したいのは、そんなことだけではないはずだ。

今日、どんなプレーが面白かったのか。

どんな子と笑い合ったのか。

どんな悔しさがあって、その中にどんな発見があったのか。

保護者にできることは、子どもの結果を管理することより、子どもの感じたことを受け止めることなのかもしれない。

「今日、楽しかった?」

「何が一番おもしろかった?」

そんな問いのほうが、子どもの中のセンス・オブ・ワンダーを守る気がする。

子どもたちに伝えたいこと

もし、今サッカーが苦しくなっている子がいたら、思い出してほしい。

最初にボールを蹴った日のことを。

ただ楽しかったことを。

思い通りにいかないことさえ、どこか面白かったことを。

うまくなることは大事だ。

勝ちたいと思うことも大事だ。

でも、それ以上に大切なのは、サッカーという世界に、まだ驚けるかどうかだと思う。

仲間のうまさに驚く。

自分の変化に驚く。

昨日までできなかったことができたことに驚く。

時には、負けた悔しさの深さにさえ驚く。

その驚きがある限り、サッカーはただの作業にはならない。

大人になると、私たちはどうしても効率や成果を求める。

それは社会を生きるうえで、ある意味では自然なことだ。

けれど、サッカーの現場で子どもたちと向き合うときだけは、少し立ち止まって考えたい。

この子の中の驚く力を、私は守れているだろうか。

この子の世界を、私の正しさで狭めていないだろうか。

この子が「うまくなること」だけではなく、「世界と出会うこと」を楽しめているだろうか。

サッカーの本質は、技術や戦術の中だけにあるのではない。
それは、人が人として、世界に心を開いていく営みの中にもある。

カーソンが願った
「生涯消えることのないセンス・オブ・ワンダー」は、

きっとサッカーにも必要だ。

ボールを蹴ることの不思議。

仲間とつながることの不思議。

身体が思い通りに動くことの不思議。

そして、自分が少しずつ変わっていくことの不思議。

その感性を失わない子どもは、きっと長くサッカーを好きでいられる。

そしてその感性を守れる大人こそ、本当の意味で子どもを育てているのだと思う。

子どもたちは、もともと素晴らしい感受性を持っている。
サッカーは、その感受性をさらにひらくこともできるし、逆に閉じてしまうこともある。

だからこそ、選手にも、指導者にも、保護者にも、問いかけたい。

私たちは今、子どもたちを上手くしようとしているだろうか。
それとも、この世界をおもしろいと感じる力を守ろうとしているだろうか。

その違いは、小さく見えて、きっと人生を変えるほど大きい。

サッカーとは、ただ勝つためのスポーツではない。
人が世界に驚き、人とつながり、自分の可能性に目をみはるための場所でもある。

そのことを忘れない大人でいたい。

子どもたちの中にある

「センス・オブ・ワンダー」が、どうか消えませんように。

センス・オブ・ワンダー

センス・オブ・ワンダー

  • 作者:レイチェル・カーソン/上遠 恵子
  • 出版社:新潮社
  • 発売日: 2021年08月30日頃