大人になってから学ぶサッカーの本質とは

サッカーの本質を追求するWebマガジン 考えるよりも感じることを大切に 美しさとは何かを感じる心を大切に 大切なものを失わない為に書き綴る

サッカーをセンス良く伝えるために読んでおきたい記事3選(vol.10)

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サッカーを子供たち、あるいは選手たちにセンス良く伝えていく為には、やはり良質な情報をインプットすることが大切なのです。

今回も、素晴らしい記事を厳選しました。

 

 

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女子サッカーの永里選手のメッセージは、いつもとても深いところまで刺さる。

彼女の発信は、サッカーというものを超越して人生において大切なこととはなんなのかを考えさせる。

 自分自身を表現すること

最近、ふと思いました。「もしかしたらこれまでの人生、目標に依存してきたのではないだろうか?」と。
サッカー選手になってW杯やオリンピックで優勝したい、海外リーグで活躍したい。子どもの頃から周囲に目標ばかりを求められ、目標を持ちそれを目指すことは当たり前という認識になり、なぜそれを目指すのかといった「目的」という大切な部分に関しては触れられず、目指す理由を考えずに、ただひたすら目標を達成することだけを考えて行動し、生きてきたのではないかと。


昨年3月にリオデジャネイロ五輪出場権を逃し、今までに経験したことのない喪失感を味わいました。何かぽっかりと穴があいてしまったような感覚で、それが「何か」というのは正直、そのときはわかりませんでした。


そこから1年半という歳月をすごす中で、何かを探すかのように新たな出逢いにヒントを求めていろんな場所へ足を運び、多くの人の思考に触れ、景色に触れ、答えを見つけるためにこのときをすごしていたようにも思います。


組織で一部の力のある人間に評価されれば、それである程度は安定した生活を手に入れることができます。自分の立場を守るため、自分の稼ぎのために手段をいとわない人も、これまでの海外生活で数多く見てきました。


女性社会であることも起因しているとは思いますが、私には到底そんなことはできないと思うことに遭遇する度に、改めて自分の「心」というものがわかったり、どうあるべきなのかということを考えさせられたりします。


目標に振り回され、目標に依存し、生きる上での目的を見失い、お金に左右され、お金に振り回され、それで人間関係がこじれることほど不幸なことはないと私は思っています。幸せとは何か? 真の豊かさとは何か? 私たちはどのような未来を描き、どのような未来をつくっていく必要があるのでしょうか?


アスリートやエンターテイナーをはじめ今の時代に生きる人、これからの時代を生きる人は、組織の評価だけでなく、社会からの評価も勝ち取らなければなりません。それは、「表現する=メッセージを発信する」ということに直結してくるからです。
どんな職業の人にも共通して言えることだと思いますが、自分自身を表現することが社会に対するメッセージになります。だからこそ、表現を通して何を伝えたいのかという部分において、自分という人間を確立する必要性があると思っています。

newspicks.com

 

元日本代表で鹿島アントラーズでも活躍した岩政選手。

現在は東京ユナイテッドにて選手兼コーチをしながらスポーツ界に限らず様々な世界へ踏み込んで取材されています。今回は、リクルートを経て民間人校長となった奈良市立一条高校の藤原和博校長に成熟社会の教育や生き方についてインタビューした記事がとても面白かったのでご紹介させていただきます。

サッカーをするとはどういうことなのか

岩政 僕は個人がより良い判断をできるようになれば、チームが大きくなっていくと考えています。最初に組織の枠をつくっていくのではなく、個人を大きくしていけば、結果として大きな組織がつくれます。しかし、東大の選手は「どうして枠をつくってくれないんですか」と思っているように感じます。

 

藤原 日本は戦後、アメリカンライフという正解を目指してきました。何億ピースかわからないけれど、そのジグソーパズルは80年代後半に7~8割完成したと思います。そこまでは情報処理力が9割でもよかった。でも、いまはシフトチェンジが必要です。処理力と編集力が9対1だったのを7対3にすればいいと思います。大きく変えて編集力の方を7割にしてしまうと、たぶん日本の良さがなくなってしまいます。処理力偏重の良さもあります。新幹線が時刻表どおりに動くとか、レストランでそれぞれが違う料理を注文しても同じタイミングで出てくるのは処理力が高いからでしょう。日本人はすべてを早くきちんと正確にこなします。その力は失いたくありません。話が変わりますが、急成長してきた日本サッカーがここからさらに一段、上がるにはどうしたらいいのでしょう。

 

岩政 いまの特に若い選手は失敗したら、そこで終わりにしてしまう傾向があります。なぜそういうことが起こったのか、どこに立って、どう動かしたらよかったのか、といったことを深く考えません。そういう話をすると「そんなことまで考えていませんよ」と言います。サッカーというスポーツの捉え方が違ってきている感じがします。「考える」ということが不足しています。このサッカーのベースに当たる部分を上げていったら、世界に近づくと思います。練習メニューや戦術の問題ではありません。サッカーをするとはどういうことなのかを植えつける必要があります。僕はプロになれるようなレベルの選手ではなかったのに、日本代表にまでなってしまいました。もっと才能のある選手がサッカーの考え方を身につけたら、トップ・オブ・トップの選手が生まれてくるはずです。

www.nikkei.com

 

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私は当ブログで、「どう教えるかよりもどんな環境をデザインするか」ということを書いてきました。次にご紹介する記事は「親が子供にできることとは」というテーマでとても興味深い記事になります。

親にできる事は環境のコントロール

じゃあ本当に親は何もできないのだろうか?事はそう単純ではない。

与えられた環境下において、子供が誰と友達になり、どんな文化を身につけるのかという事については確かに親には選択肢がない。先程もみていったとおりこれは事実である。じゃあそもそも子供を置く環境が根本から異なっていたとしたらどうだろうか?

 

アメリカとイスラエル、ロシア、イタリア、日本、で置かれた子供は、当然ながら置かれた国によって学ぶ文化は異なるだろう。

アメリカで育った子供はアメリカ人になるし、日本で育てられた子供は、日本人になる。 

 

もっといえば、治安が荒れた環境で育てられた子供はギャングのような子供に育つ可能性が高いだろうし、農村で育てられた子供は農家の子供として育つ可能性が高いだろう。

こうしてみればわかるけど、実は初めのスタート段階をどこで始めるのかについては、親は子供に影響を与える事ができるのである。これが昨今、幼少時教育がもてはやされる本当の理由だ。 

 

世界中のハイスペがスイスのボーディングスクールに自分の子供を押し込むのは、つまるところそれが”親が出来る、子供に影響力を与える最善の方策”だからにすぎない。

繰り返しになるが、もちろん親には、子供がどこのグループに所属するだとか、子供がどんな文化を学ぶのかという事は決められない。けど初期環境だけは決められる。スラムに子供を置けばスラムの文化を学ぶし、貴族の中に混ぜれば貴族の文化を学ぶだろう。

 

blog.tinect.jp

 

サッカーの本質を追求する旅はつづく…

 

keikun028.hatenadiary.jp