大人になってから学ぶサッカーの本質とは

サッカーの本質を追求するWebマガジン 考えるよりも感じることを大切に 美しさとは何かを感じる心を大切に 大切なものを失わない為に書き綴る

サッカーをセンス良く伝えるために読んでおきたい記事3選(vol.9)

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サッカーとは、一つのボールをゴールに入れる数を競うとてもシンプルなゲームだ。

このゲームをどう捉えるかは、その人次第なのだけれど、私はこのゲームの奥深い魅力を伝え続けていきたい。

サッカーは子どもを大人にし、大人を紳士にする

 日本サッカーの父と呼ばれるクラマーさんの言葉だ。

これほど素晴らしい言葉はないと思う。

サッカーの本質を知る大人は紳士であるはずだ。

そして、サッカーを教える大人もまた紳士でなければならない。

 

今回ご紹介する記事は、サッカーを愛する紳士が書いたものになります。(きっと紳士だと思います)

 

駆け引きのベースにあるもの

駆け引きが上手な子を観察していると、3つのポイントがみえてきたと

1)常に落ち着いた【心】

相手のほうが大きいのに動じることのない心。ミスを恐れない心が育まれており、体格差や密集地帯を何とも思わない、常に落ち着いた【心】がベースにあります。

普段の行動を観ていると、

周りのことばかり気にしている子は、周りが自分より上か下かによって心のありかたを決めてしまい、心が落ち着いた状態を保ちにくい。

常に落ち着いた【心】でプレーしている子は、周りのことを必要以上に気にせずに「自分の意志」で行動しています。

2) 相手を見切る【察知力】

状況を見切って、タイミングを逃さない

学年関係なくストリートサッカーのようなサッカーをすると、子どもたちは体格差を理由にする必要がないくらい当たり前のこととしてとらえています。

大きな相手にボールを奪われる中で、相手を察知しなければ何もできないため、相手を察知しだますプレーを常におこなっていきます。

常に落ち着いた【心】がある子ほど、相手をだますことの駆け引きが「癖」になっています。 

3)ボールと体を思い通りに扱う技術【武器】

技術を発揮するためにサッカーをするのではなく、察知した相手をだますために「技術を磨きたい」と思っている。そういう子の練習は、フリードリブルでも相手が存在しています。

ジュニア年代のネイマールは、ひとりで空想の相手を抜いたりシュートしたり、時にはこかされてレフェリーにファールをアピールしたり、ひとり試合のような遊びを楽しんでいたようです。

fc-salva.com

 

次にご紹介する記事は、ジュニアサッカーを取り巻く大人の話です。私が現場で指導に関わっていた10年前にもよく目にしましたが… 少なくとも子供の成長に関与する大人が本質を見誤らないでほしいですね。

サッカーの楽しみを奪う大人たち

ジュニアサッカーの現場では、ちゃんとさせたがり 、な大人達によく遭遇する。

例えば試合前のメンバーチェックで、うちはユニフォームの『シャツ出し』をいつも注意される。熱中症対策のためにもシャツ入れはもうしなくていいルールなのだが、未だに多くの試合会場で「シャツ入れて」と言われる。もういい加減やめてほしい。
うちは背番号の下にクラブのキャッチフレーズ入れてるし、いい迷惑だ。

「子供にはマナーを教えないといけない」という人が必ずいるのだけれど、そのマナーはその方の嗜好なだけであって、それを押し付けるのは甚だ間違っていると、声を大にして言いたい。逆説的に言えば、そういう人は子供達に関わる大人としてのマナーが出来てない人だ。何が大切か、何を最優先すべきなのかを、根本的に理解していないんだから。

爪のチェックだって本当はしなくていいルールなのに、まだ「ハイ、爪見せて」と偉そうに言う人がいっぱいいる。

先日の試合でも、副審の人がうちの子達の爪を嬉しそうに念入りにチェックしたあげく
「うーん、長いな」「爪、長い子が3人もいるので切らせて下さい」とか言ってきたので
「もう爪チェックはしなくていいはずですけど」って言って断わったら、その時はアッサリ引き下がってくれたので良かったけれど。

ちゃんとさせたがる前に、大人ならもっとルールを勉強するべきだと思います。
子供に対しては、ルールだのマナーだのとうるさいくせに。

ちゃんとさせたがるから、試合でもピッピピッピと笛を吹きたがる。あわよくば吹いてやろう…、と、ピッチ上の警官になりたがって試合の邪魔をしてしまう人が、試合の邪魔だけでなく、ジュニアサッカーのレベルを上げる邪魔までしている。

良い指導者かどうかは、その人が審判をしている時の姿でわかります。
子供達を自分のペースで管理したい人なのか、子供達の邪魔をせず、自分は黒子に徹しようと努力する人なのか。

あわよくば粗を探してそこを突いてやろう…という気持ちが、その振る舞いや表情にそのまま出ている人、たくさんいる

 

neutralfootball.hatenablog.com

 

一流選手を作ることはできない。出てくるのを待つしかない…

南米でよく聞く表現だけれど、やはり本質はそうなんだと思います。

イニエスタやシャビの作り方

その論調は、メッシやロナウドを作ることは難しいが、イニエスタやシャビなら作れる。と、いうものだった。私には違和感だらけだった。それはプレー理論さえ正しければ、さらに、それを選手にトレースさせれば育成はうまくいくという空論だったからだ。なぜ、空論なのか。なぜならサッカーの試合で似たようなシーンはたくさんあっても、同じシーンは皆無だからだ。再現性の高いプレービジョンをイメージすることはできても、すべてが同じように動かない。

自分一人だけではない。味方、相手、審判、観衆、天気、試合環境とすべてが様々な影響を及ぼす。だからこそ、選手には、チームとして再現性の高いプレーイメージを共有しながら、相手との駆け引きの中で即興性が求められる。プレッシャーの掛かり方でピッチ上で見る景色が違って見える。相手がほんの1mイメージとずれた位置に立っているだけで、次のプレービジョンに迷いが生じる。以前、アルゼンチンのリバープレート・ユースチームの育成部長の話を記事で読んだことがある。ちなみに、同クラブはサビオラリケルメアイマールなど、数々のスター選手を世に送り出した名門だ。

「彼らを作り出すことなんてできないよ。私たちは、ただ彼らが出てくるのを待つんだ。じっくりとね」

おそらく、ここに真実がある。その育成部長は「優秀な選手が出てくるのを待つことはできる」と発言している。でも、私たち日本人の指導者は「選手を作り出そう」としていないだろうか。その証拠に、昨今は必死で「子どもの育て方」を模索しているように見える。ただ、そうやって作り上げられた選手はスター選手ではなく、スター風の選手でしかない。過去、そうしたスター風選手が直面した問題を解決できず、何人も消えていったのを多く目にしてきた。

では、自ら「子どもが育つ」環境とは何なのだろうか。
そして、どうすればそのような環境を作れるのだろうか。

 

www.targma.jp

 

サッカーの本質を追求する旅はつづく…