社会に反発した青春時代
ボクはひょんなことから定時制の高校に通うようになった。
夕方から学校に行き、勉強をして、夜中に自宅へ帰る。
世界ではスタンダードなこの方式も、日本では未だアンダーグラウンドなままだ。
今となっては、自分がそれなりに胸を誇れる青春だったと思えてることもあり、「夢を叶えたいから、午前中の時間を使いたくて定時制に進学した」と吹かしている。
でも実際は、半分ホントで半分ウソだ。
”やりたいこと”はあったし、やれたらいいなと思ってた。
でも、実際は定時制に通うなんてヘンテコな毎日にしなくても、十分に打ち込むことができるものだった。
ただ、コトの流れに身を任せたり、社会に歯向かったり、天邪鬼に過ごしてるうちに、とうとう自分が選べる進路はそれだけになってしまったのだ。
高校受験はした。ボクの内申点では、ぶっちゃけ場違いなぐらい入るのが難しい学校へ志願し、併願や滑り止めは全く受けなかった。
自分は何故かラッキーが転がってくるタイプの人間だと思ってから、土壇場でテストの点が伸びるような気もしてたし、今思えばわざわざ不合格になりに行ってたような所もある。
公立の癖に一芸入試みたいなのがある特殊な学校で、志望届を無難な近所の高校に書き換えようとする周りの大人は、その一芸のミラクルに賭けるからということで黙らせた。
思春期で反抗期で中二病
それなりに進路について話したりもしたけど、親は当時ボクのことをどう考えてたのか、実際はよくわからない。
とにかく世間や常識とは確実に一線を画している人で、成長期で思春期で反抗期で中二病が終わらない健全な15歳男子には、父の気持ちを理解することは難解でしかなかった。
結局、受験は不合格。その他の進路の話もそこそこに、最後はなし崩し的に定時制高校へ進学したのだが、実は入試の日、ボクは試験に遅刻した。
なんとなく、これで学校に行けなくなるならそれはそれでいいやと思ってた。ボクは「高校だけは出ておきなさい」と周りの大人全てが言うからここに来ただけで、学校なんてくだらないと心の底から思ってるんだ、と。
でも、定時制に通おうとするヤツらにそういう半グレなヤツは珍しくないらしい。
試験開始から30分近く遅れて学校についたのにも関わらず、試験担当の先生たちは焦りもせずボクの受験票を受け取り、あろうことか“ちゃんと来て偉いわね”と言わんばかりの雰囲気でボクを迎え入れた。
残り15分ほどしかない試験は一瞬で終わったが、アルファベットが書けて、簡単な計算ができれば100点が取れるような問題で、5分で解けた。
結局、中学もちゃんと卒業したかわからないままだったのに、あっという間に高校生になってしまった。一応、進学する報告をしに中学校へ行くと、やっと問題児の行く先が決まったかと、学年の先生たちが皆出てきて喜ぶ。
「安心したわ」「良かったね」「辞めちゃダメよ」と嬉々しながら言われるが、当のボクは何が安心なのか一切わからず、「もういいよ」「すぐ辞めるから」と反抗的になる他なかった。
これで何が良かったというのか。もう俺の人生は安心なのか。別に行っても行かなくても社会的には大差ないだろうし、最後はなんとなかなる気はしてたけど、とは言え実際はすごく大変な日々がここから始まることを、ボクが何より感じ取っていた。
そうしてスタートした高校生活だったが、当時流行ってた「前略プロフィール」とか「モバゲータウン」とかで友人がアップしてるような華々しいものではなく、心の中はいつも真っ暗闇で大雨大嵐だった。
人生に悩む悶々とする日々
学校もサボって、ボーッとしてる日々。そんなボクといて楽しい雰囲気になるわけもなく、小さい頃から明るく元気で輪の中心だったはずなのに、友人も当時の彼女もあっという間に離れていった。
自分はどうしたらいいのか、どうなりたいのか、何がしたくて何がしたくなくて、何が出来て何が出来ないのか、そう考えれば考えるほど、自分が蟻地獄で藻掻いて、人生が台無しになるような気がしてならなかった。
もやもやとした毎日にイマイチ踏ん切りがつかない根拠はひとつ。
自分が大好きで小さい頃からやってきた“やりたいこと”は、ボクがこんなに好きなのにも関わらず、その才能がまったくないことを、自分自身が一番わかっていた。
それを続けて飯を食えるようになることは愚か、学校の中でイチバンになることすら困難なレベル。
前述した高校の一芸入試でも、その才能がないということがバッチリ評価されて結果に出ていた。
既に同年代で名前が轟いている逸材が、世界にも日本にもヨコハマにも腐るほどたくさんいる中で、高校に入ることも許されないぐらいな才能のボクが、“やりたいことだから”という安易な理由付けでやっててもいいものなのか。
やりたいってキモチは無きにしも非ず、自分じゃ無理だなという気持ちのほうが大きかった。
暇だから本はたくさん読んだし、ネットもいっぱい見た。
グレた時は音楽か格闘技だろみたいなイメージがあって、ギターを買って音楽をやろうかと考え、ギターは買えないからとりあえずハーモニカを手に入れたけど、すぐにホコリをかぶった。
格闘技も、ちょっかいで殴ったり蹴られたりするのとワケが違うし、中途半端に始めたら死にそうな気がするから気が進まなかった。
やりたいことがないという君へ
そうやって悩んで悩んで、悩み倒した結果、たどり着いたのは、出来るか出来ないかじゃなくて、やるかやらないか、みたいなマインドだった。
ごちゃごちゃ言うならとりあえずやってみればよくね?と。
なんでもいいからやろう、じゃあ何しようか、と考えると、どうせなら小さい頃に夢見たものが良いよねって心が感じた。青いユニフォームを着て、ニッポン!とかF・マリノス!とか叫ぶ人達の前で、時折自分の名前を呼んでもらいながら、思いっきりボールを蹴ってる自分のイメージが湧いた。
“やりたいこと”がない人の大半は、「やりたいことがあるけど自分には出来ない」と思ってるか、「やりたいことが本当はあるけど、無意識にそれを遠ざけてる」のどちらかだと、自他の経験上から思ってる。
本当にやりたいことが何もない人は、多分いない。
“やりたいこと”はこれから見つけるものじゃなくて、既に自分の中にあるものなはずだ。
それを感じるために理解しないといけない前提がある。
“やりたいこと”は職業ではなく、“雰囲気”だ。
自分のやりたいことに仕事とか職業を当てはめようとすると、心にブレーキが掛かる。にも関わらず、大学生ぐらいに「やりたいこととかないの?」って聞くと、商社に入りたいんだよね、とか、営業はやりたくないんだ、って業種や職種が返ってくる。
やりたいことがあるヤツってのは、それ自体じゃなくてそれをやった後の雰囲気とか感覚のイメージができてる。
すごく曖昧な言葉でわかりやすく言うと「ライフスタイル」とかそんなものかもしれない。
野球選手になりたいって夢も、きっとその言葉の裏には、スター投手を相手に打席に立ってる自分とか、サヨナラヒットを打ってお立ち台に立ってる姿とか、ドラフトで名前を呼ばれた瞬間の妄想とか、そういうのが紐付いている。
お花屋さんになりたい夢は、大好きなお花に囲まれてる毎日とか、近所の人とコミュニケーションを取って笑顔いっぱいの毎日とか、そういうのが夢だ。
仮面ライダーになりたい子供に、「はい、キミは公的に仮面ライダーですよ、職業欄に仮面ライダーって書いていいからね」って言えたとして、その子は満足するだろうか。なりたいのは仮面ライダーそのものじゃなくて、かっこいい自分なはずだ。
でも、何故か日本に生きてたらそのなりたいことをイメージするのがあまりにもしんどい。
そういう「なりたい自分の雰囲気」をイメージすると手錠でもかかるかのように、ボク達には知らず知らずと麻酔がかけられていく。
自分と向き合うこと
ボクはこの悩みまくった高校入学前後の時代から今日まで、やっぱり時折「なにが本当の“やりたいこと”なんだ」という壁にぶつかって生き続けていくことになるが、そんな時はいつも、心をニュートラルにして、この2つを自分に問いかける。
「絶対成功するとしたら、何がしたいかな」
「お金と時間が無限にあるなら、何にチャレンジしたいかな」
絶対成功してお金も時間も無限なら、正真正銘何をやっても良いことになる。そうやって考える時、心に浮かんでくるのは「世間体があるからちゃんと働かなきゃ」みたいな他人目線でも、「死ぬほど女を抱いて、嫌いなやつは全部殺して、俺の楽園を作る!」
みたいな邪なことではない。自分が心の底から求めてて、もしできたらとってもシアワセで、他の何事にも代えがたい「何か」に辿り着くはずだ。
こうやってたくさん悩んで、その後も何回泣いたかわからないぐらい挫折することになるけど、高校入学から6年後、ボクは日本から遥か遠い西の国で、ニッポンコールではなく、理解不能な言葉たちに包まれていた。
わけのわからない声が飛び交いながら、ボクはスパイクを履いて走り、たまに「マルー!!!」とボクを叱咤激励する声が聞こえてくる。
プロサッカー選手になったデビュー戦。決勝点を決めた。
悩める15歳が苦悩の末にイメージしてたキラキラしたものとは、全てが似ても似つかない不格好な現実かもしれないけど、「あ、夢がかなった」って素直に思えた。
やりたいことなんかねえよって、グレっぱなしにならなくてよかった。悩んでよかった、考えてよかった。
何より、自分の心に素直になってよかった。
ライタープロフィール
丸山龍也 1992年7月4日生まれ 選抜歴や大会歴など一切なし。才能がないと周りから冷やかな目を浴びつつ、定時制高校に通いながらプロを目指し、東南アジア諸国へトライアウト。 大怪我も負いながら2014年にスリランカで念願のプロデビューを果たし、その後ヨーロッパでプレー。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…